海外事例:文化財DXが導く保護と観光収益の両立

自治体・DMOのDX導入最前線(公的資金・補助金)

はじめに

日本各地の自治体やDMO(Destination Management/Marketing Organization)は、地域経済の活性化と持続可能な観光の実現に向けて、DX(デジタルトランスフォーメーション)推進を加速させています。特に、豊かな自然や歴史的文化財を抱える地域では、これらの貴重な資源を保護しつつ、観光客誘致と住民生活の調和を図るという、複雑な課題に直面しています。スマートシティ計画やデジタル田園都市国家構想といった国策も後押しする中で、テクノロジーを活用した新たな解決策が求められているのです。本稿では、文化財保護と観光振興を両立させる海外の先進事例を深掘りし、その具体的なソリューション、データ活用の意義、そして日本の地域が模倣できる汎用性の高いポイントについて考察します。

海外先進事例に学ぶ、文化財観光DXの最前線

観光資源としての文化遺産は、その価値を未来に継承するとともに、現在の訪問者に魅力的な体験を提供しなければなりません。この相反する目標を最新テクノロジーで両立させようとする動きが、世界各地で加速しています。例えば、The European Business Reviewが2025年12月23日に報じた記事は、文化遺産保護におけるテクノロジー活用事例を紹介しており、日本の自治体やDMOにとって多くの示唆を含んでいます。

記事では、サウジアラビアのアル・ウラ(AlUla)、イギリスのソールズベリー大聖堂(Salisbury Cathedral)、スペインのセゴビア城(Alcázar of Segovia)の3つの事例が挙げられています。これらは、文化財の老朽化、環境変化、そして増え続ける観光客による物理的負荷という共通の課題に対し、異なる角度からDXを導入しています。

アル・ウラ:ドローンによる3Dマッピングとデジタルツイン

サウジアラビアのアル・ウラは、広大な考古学的景観を持つ地域であり、その保護は極めて大規模な取り組みを要します。ここでは、主要なドローン技術企業であるNineTenthsが、DJI Matrice 300 RTKドローン45MP Zenmuse P1カメラを導入しました。これにより、遺跡の精密な3Dモデルとデジタルツインを生成。このソリューションの機能は、地形や岩石構造の細部にわたるデジタルマッピングを可能にし、研究者は広範囲かつ高精度のデータを手に入れることができました。

この技術導入の背景には、広大な遺跡群の老朽化、自然浸食、そして今後の観光開発に伴う変化をいかに精密に記録し、保護計画に役立てるかという課題がありました。人間の目視や従来の測量では非効率かつ危険が伴う場所も多く、網羅的なデータ収集が困難でした。

ソールズベリー大聖堂:低照度AIカメラによる厳格な環境制御下の監視

イギリスのソールズベリー大聖堂には、現存するわずか4枚のマグナ・カルタ原本の一つが所蔵されています。この貴重な文書は、10 LUX以下という極めて厳格な照明条件下で保管される必要があります。Dahua Technology社は、この厳しい制約をクリアするため、低照度カメラと動体検知記録システムを導入しました。これにより、文書に光を当てることなく常時監視が可能となり、文化財の保護要件を完全に満たしながら、訪問者が貴重な歴史的文書を間近で体験できる機会を維持しています。

この事例の背景にあるのは、文化財の保存環境と、観光客への公開という二律背反の課題です。過度な光は文書の劣化を早めるため、一般的な監視カメラでは対応できませんでした。しかし、AIと低照度技術を組み合わせることで、この問題を解決し、収益を生む観光資源としての価値と、永続的な保護の両立を図っています。

セゴビア城:AI対応セキュリティシステムによる混雑管理と建物保護

年間70万人もの訪問者を受け入れるスペインのセゴビア城は、人気の観光地であるがゆえに、混雑による文化財への負荷と、観光客の安全管理が課題でした。ここでは、Dahua Technology社が提供するAI対応インテリジェントセキュリティシステムが導入されました。このシステムは、AIによる混雑状況監視、境界保護、そして熱画像センシングを組み合わせ、訪問者の安全確保と歴史的建築物の保護を同時に実現しています。特に、熱センサーは、目に見えない形で歴史的木製屋根の微細な状態変化を監視し、早期の劣化検知に貢献しています。

背景には、急増する観光客によるオーバーツーリズム問題と、それに伴う文化財の劣化加速、そして大規模な建築物の維持管理コストがあります。AIによるリアルタイムの人流データと熱画像データは、これらの課題に対し、客観的かつ効率的な解決策を提供しています。

データ活用が地域の意思決定をどう変えるか

上記の事例から明らかなように、DXによって収集される多種多様なデータは、地域の意思決定プロセスに革新をもたらします。単なる直感や経験則に頼るのではなく、客観的なデータに基づいた意思決定が可能となるのです。

  • 文化財の構造保全と修復計画の最適化:アル・ウラの事例では、ドローンが収集した高精度な3Dデータやデジタルツインが、遺跡の構造状態を詳細に把握する基盤となります。これにより、劣化の進行状況を時系列で追跡し、リスクのある領域を特定。どこに、どのタイミングで、どのような修復作業を行うべきか、費用対効果の高い計画を策定できるようになりました。これは、限られた予算の中で文化財を効率的に維持管理するために不可欠な情報です。
  • 訪問者管理と文化財への負荷軽減:ソールズベリー大聖堂の事例では、低照度カメラの動体検知データが、マグナ・カルタ周辺の訪問者数を把握し、特定の時間帯に集中することを避けるための情報として活用できます。セゴビア城では、AIによる混雑状況監視データが、リアルタイムで訪問者の流れを可視化し、混雑緩和のための動線誘導や、時間帯別の入場制限の判断材料となります。これにより、過度な集中による文化財への物理的損傷リスクを低減し、「観光公害」の防止にも貢献します。あわせて読みたい:海外視点:DXが「混雑」を「魅力」へ、地方観光に収益と持続可能性を
  • 環境制御とセキュリティの強化:ソールズベリー大聖堂の厳格な光量制御や、セゴビア城の熱画像センシングは、単に監視するだけでなく、文化財の保存環境を最適に保つためのデータを提供します。例えば、温度や湿度の微細な変化を検知し、HVAC(冷暖房空調)システムと連携して自動調整することで、劣化要因を最小限に抑えられます。また、不審な動きや侵入を自動検知するセキュリティデータは、人的警備の負担を軽減しつつ、文化財を物理的な脅威から守ります。

これらのデータは、文化財保護担当者、観光行政、地域住民が一堂に会し、共通の客観的指標に基づいて議論を進めることを可能にします。例えば、特定の時期にオーバーツーリズムが深刻化する文化財がある場合、データに基づいて入場料の見直し、予約制の導入、周辺交通機関の最適化など、具体的な対策を講じることができます。

日本における文化財観光DX:汎用性と収益・持続可能性への視点

日本の豊かな歴史遺産や文化財は、世界に誇るべき観光資源です。しかし、これらの多くは老朽化が進み、維持管理には莫大な費用と専門知識が求められます。また、インバウンド観光客の増加に伴う「観光公害」も深刻化しており、海外事例に学ぶDXの汎用性は極めて高いと言えます。

模倣できる「汎用性の高いポイント」

  • 多角的なデータ収集と統合による「見える化」:ドローンによる文化財の構造診断、AIカメラによる人流・混雑状況の把握、センサーによる環境(温度・湿度、振動など)モニタリングといった複数のデータを統合的に収集・分析する基盤は、日本のあらゆる文化財観光地に適用可能です。これにより、文化財の「健康状態」と「観光客による影響」を客観的に「見える化」し、保護と活用のバランスを取るための根拠を提供します。
  • 「守る」と「活かす」のDXによる両立:海外事例は、テクノロジーが文化財の保護と観光客への開放を両立させる強力な手段であることを示しています。日本では、文化財保護法や景観条例など、保護を重視する傾向が強く、時に観光振興との間で摩擦が生じることがあります。DXは、厳格な保護要件を満たしつつ、観光客に新たな体験を提供し、持続的な収益を生み出す可能性を秘めています。例えば、デジタルツインやVR/AR技術を活用して、通常は立ち入れない場所をバーチャルで体験させたり、文化財の歴史をインタラクティブに学べるコンテンツを提供したりすることで、付加価値を高めることができます。あわせて読みたい:訪日客の「不便」を解消:観光DXで地域経済を動かす収益と持続可能性
  • 段階的な導入とスケーラビリティ:全ての文化財に一度に大規模なDXを導入することは非現実的です。海外事例のように、まずは特定の課題を持つ文化財から、費用対効果が見込まれるソリューションを試験的に導入し、その成功事例を他の地域や文化財に横展開していくアプローチは、日本の自治体にとっても現実的です。デジタル田園都市国家構想交付金や観光庁の各種補助金などを活用し、PoC(概念実証)から始めることが有効でしょう。
  • 地域内外の連携強化:DXは、自治体やDMO単独で進めるものではありません。テクノロジーベンダー、大学・研究機関、地域の観光事業者、そして文化財の管理者や地域住民が一体となって、課題を共有し、解決策を共創するエコシステムを構築することが成功の鍵です。特に、データ活用においては、個人情報保護の観点から住民の理解と協力が不可欠です。

収益(ROI)と持続可能性(サステナビリティ)への貢献

文化財観光におけるDXは、単なるコストではなく、地域経済に具体的な収益と持続可能性をもたらす投資として捉えるべきです。

  • ROI(投資収益率):
    • 維持管理コストの削減:ドローンによる定期点検やAIによる異常検知は、人手によるパトロールや大規模修繕の頻度を減らし、長期的に維持管理コストを削減します。熱センサーによる早期劣化検知は、問題が小さいうちに手を打つことで、将来的な大規模改修費用を抑制します。
    • 観光客単価の向上:バーチャルコンテンツやインタラクティブなガイドなど、付加価値の高いデジタル体験を提供することで、入場料や体験料の値上げ、関連グッズの販売促進に繋がり、観光客一人当たりの消費額(単価)を向上させることができます。
    • 観光客誘致と滞在期間の延長:混雑緩和、快適な環境提供、新たな体験コンテンツは、観光客の満足度を高め、リピート訪問を促進します。また、SNSでの拡散効果も期待でき、新たな観光客を呼び込むことに繋がります。データに基づいたマーケティング戦略により、ターゲット層への効果的なアプローチも可能になります。
    • 補助金・助成金の活用:デジタル田園都市国家構想交付金や観光庁の観光DX推進関連予算など、DX推進を後押しする公的補助金や助成金を活用することで、初期投資の負担を軽減し、ROIを高めることができます。2025年現在も、このような支援策は継続的に提供されています。
  • サステナビリティ(持続可能性):
    • 文化財の長期保存:精密なモニタリングとデータに基づいたメンテナンスは、文化財の劣化を最小限に抑え、未来世代へと価値を継承するための基盤となります。これは、文化財そのものの持続可能性を直接的に高めるものです。
    • オーバーツーリズム対策と地域共生:AIカメラによる混雑状況監視やデータに基づいた観光客の分散誘導は、特定の場所への集中を防ぎ、住民生活への影響を緩和します。これにより、観光客と地域住民の共生を促し、持続可能な観光地としての評判を確立します。あわせて読みたい:海外メディアが注目:日本の観光公害DXで収益と持続可能性を
    • 環境負荷の低減:効率的な資源管理、スマートな交通誘導システムなどは、観光活動に伴うエネルギー消費や排出ガスを削減し、地域全体の環境負荷低減に貢献します。
    • 地域経済の安定化:文化財観光のDXは、一時的なブームに終わらず、年間を通じて安定した観光客の流れを生み出すことで、地域経済の基盤を強化します。これにより、雇用創出や地元産品の消費拡大にも繋がり、地域全体を活性化します。

現場が直面する課題とリアルな声

しかし、こうしたDXの推進には、現場ならではの課題も存在します。自治体職員、DMOスタッフ、そして文化財の管理者からは、以下のようなリアルな声が聞かれます。

  • 「先進的な技術導入の必要性は理解しているが、初期費用が大きく、運用コストも継続的にかかる。限られた予算の中でどう捻出するかが悩みの種だ。」
  • 「導入はできたとしても、ドローンやAIの専門家が地域にいない。外部委託に頼りきりだと、自律的な運用ができないし、費用もかさむ。地域で人材を育成する仕組みが必要だと感じる。」
  • 「文化財保護の現場は、昔ながらの慣習が残る部分も多い。新しい技術を導入する際、既存の作業プロセスや組織文化との摩擦が生じることもある。現場の理解を得て、協力を仰ぐのが難しい。」
  • 「AIカメラや位置情報データは便利だが、プライバシー侵害にならないかという住民からの懸念の声も上がる。観光客の行動を把握したい一方で、そのデータ利用の透明性やセキュリティをどう確保するか、常に議論が必要だ。」
  • 「観光客の増加は嬉しいが、それによって文化財の劣化が加速したり、周辺住民の生活環境が悪化したりするのは本意ではない。DXはあくまで手段であり、文化財と地域を守るという本質を見失ってはならない。」

これらの声は、DXが単なる技術導入に留まらず、地域の文化、社会、人々の意識変革を伴うものであることを示しています。技術的な側面だけでなく、合意形成、人材育成、そして持続可能な社会設計という広い視野が求められるのです。

まとめ

文化財保護と観光振興を両立させるDXは、日本の自治体やDMOにとって、地域経済の活性化と持続可能性を追求するための不可欠な戦略です。海外の先進事例が示すように、ドローンによる精密なモニタリング、AIカメラによる混雑・環境監視、熱センサーによる劣化検知といった具体的なソリューションは、文化財の「健康状態」を可視化し、客観的なデータに基づいた意思決定を可能にします。

これにより、限られた資源の中で文化財を効率的に維持管理し、オーバーツーリズムを抑制しつつ、観光客には新たな体験を提供することで、収益の向上と長期的な観光の持続可能性に貢献できます。ただし、導入には初期投資や専門人材の確保、プライバシー保護、地域住民との合意形成といった課題も伴います。これらの課題に対し、公的補助金の活用、地域内外の連携強化、そして何よりも地域固有の価値とテクノロジーを融合させるという視点を持つことが、日本の文化財観光DX成功の鍵となるでしょう。技術と知恵を組み合わせ、地域の宝を未来へとつなぐ、新たな観光モデルの構築が今、求められています。

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