はじめに
2025年現在、日本の観光・宿泊業界は、訪日外国人旅行者の増加と国内観光の活性化という好機を迎える一方で、地方部における移動手段の確保という根深い課題に直面しています。特に、主要な交通拠点から観光地や宿泊施設への「ラストワンマイル」移動の不便さは、観光客の満足度を低下させるだけでなく、地域住民の生活の質にも影響を与えています。この課題解決に向けて、観光MaaS(Mobility as a Service)、自動運転、ライドシェア、電動モビリティ(電動キックボード等)といった新たな移動手段やサービスが注目され、社会実装への動きが加速しています。
本稿では、これらの先進的なモビリティソリューションが、どのように地方の移動課題を解決し、観光客と地域住民双方にとって持続可能な移動環境を創出するかを深掘りします。特に、具体的な自治体の取り組みを例に挙げながら、規制緩和や法改正がもたらす影響、そして移動データが観光マーケティングや地域経済にどのように還元されるかについて、現場の視点も交えて考察します。
「越谷げんき de MaaS」が示す、地域住民と観光客の移動課題解決の道
地方都市における移動課題解決の具体的な事例として、埼玉県越谷市の取り組み「越谷げんき de MaaS」は注目に値します。このサービスは、スマートフォンアプリを通じて電車、バス、タクシーなどの交通情報を一元的に検索・予約・決済できる仕組みを提供し、移動の利便性向上を目指すものです。(引用元:越谷市議会議員 斎藤ひでと オフィシャルホームページ)
越谷市のような都市近郊型でありながら、一部に公共交通の空白地域や交通が不便なエリアを抱える自治体にとって、MaaSはラストワンマイル問題の解決に直結します。特に、高齢者や運転免許を持たない住民にとって、病院への通院や買い物といった日常の移動は深刻な課題です。従来の定時定路線バスではカバーしきれないニーズに対し、AIを活用したオンデマンド交通やデマンドタクシーと連携することで、必要な時に必要な場所へ移動できる柔軟なサービスを提供します。さらに、運賃補助を組み合わせることで、経済的な負担を軽減し、利用促進を図ることは、地域住民の「生活の足」としての持続可能性を高める上で極めて重要です。
観光客の視点では、主要駅から観光スポットへのアクセスや、点在する飲食店、宿泊施設への移動が、MaaSアプリ一つで完結することは大きなメリットです。不慣れな土地での乗り換え案内や時刻表の確認はストレスとなりがちですが、MaaSによってそれが解消されれば、より快適でスムーズな観光体験を提供できます。これにより、周遊性の向上や滞在時間の延長に繋がり、結果として地域経済への収益貢献が期待されます。MaaSは単なる移動手段の提供に留まらず、地域全体を「移動しやすい観光地」へと変革する可能性を秘めているのです。
ラストワンマイル問題への多角的アプローチ
ラストワンマイル問題の解決には、MaaSによる既存交通の連携強化に加え、自動運転モビリティ、ライドシェア、電動モビリティといった多様な手段の導入が不可欠です。
MaaSによる既存交通の連携強化
越谷市の事例のように、MaaSは既存の公共交通機関(バス、電車、タクシー)をデジタルプラットフォーム上で連携させることで、利用者の利便性を飛躍的に向上させます。これにより、複数の交通手段を組み合わせた最適なルート提案や、シームレスな予約・決済が可能となり、移動の煩わしさを解消します。特に観光地においては、地域を広く周遊してもらうための強力なツールとなり、点在する観光資源へのアクセスを容易にすることで、地域全体の観光消費額の増加に貢献します。
自動運転モビリティの可能性と現状
自動運転モビリティは、地方の過疎地域や観光地におけるドライバー不足の解消、そして安定した運行サービス提供の切り札として期待されています。例えば、国立公園やテーマパーク内、また特定ルートを巡回するバス型車両など、限定された区域での自動運転レベル4(特定条件下における完全自動運転)の実証実験が各地で進んでいます。観光客にとっては、運転の心配なく景色を楽しめるという体験価値を提供し、地域住民にとっては、公共交通が廃止された地域での移動手段を確保する重要な選択肢となります。しかし、高額な導入コストや技術的課題、そして安全性への懸念など、社会実装にはまだ乗り越えるべきハードルが存在します。それでも、将来的な運行コストの削減や、新たな観光コンテンツとしての魅力創出による収益向上の可能性は計り知れません。
ライドシェアの役割と課題
日本においては、2024年4月から「日本版ライドシェア」が一部地域で解禁され、タクシー事業者の管理下で一般ドライバーが自家用車を用いて有料で送迎を行うことが可能になりました。これは、地方における深刻なタクシードライバー不足と、それに伴う移動手段の確保困難という課題に対する緊急的な解決策として導入されたものです。特に観光客にとっては、夜間や早朝、公共交通の便が少ない地域での移動手段の選択肢が増えることで、より柔軟な旅行計画が可能になります。例えば、鹿児島県阿久根市では、市職員が副業でドライバーとして参加し、運行時間を延長する実証運行を開始しており、地域課題解決への貢献が期待されます。(引用元:スポーツ報知)
地域住民の生活の足としては、特に公共交通が脆弱なエリアにおいて、病院への通院や買い物の利便性を向上させる効果があります。しかし、ドライバーの確保、安全性担保のための運行管理体制、そして既存タクシー業界との共存など、持続可能なサービスとして定着させるためには、まだ多くの検討事項があります。適切な需要予測と供給調整、そして地域住民が安心して利用できる信頼性の構築が、地域経済の持続性に繋がります。
電動モビリティ(キックボード等)の活用
電動キックボードをはじめとする電動マイクロモビリティは、短距離移動におけるラストワンマイル問題の新たな解決策として注目されています。2023年7月の道路交通法改正により、一定の要件を満たせば運転免許なしで利用できるようになり、利便性が大きく向上しました。観光地では、レンタサイクル感覚で手軽に利用できることで、徒歩では少し遠い距離の移動や、地域の小道を散策する新たな観光体験を提供できます。例えば、景色の良い海岸沿いや歴史的街並みでの利用は、観光客に新鮮な感動を与えるでしょう。
しかし、歩行者との接触事故リスク、駐輪スペースの確保、充電インフラの整備など、安全かつ円滑な運用にはまだ課題があります。これらの課題を解決し、地域住民の日常使いとしても定着させることができれば、公共交通への接続性を高め、地域の移動全体の効率化と、観光客の満足度向上に貢献し、収益機会を拡大することが可能です。
あわせて読みたい:移動DXで地方創生:ラストワンマイル解決が導く収益と持続性
規制緩和と法改正が拓く新たな移動の形
前述の各種モビリティの社会実装は、規制緩和や法改正と密接に関わっています。
道路交通法改正による電動キックボードの位置づけ変化
電動キックボードに関しては、2023年7月の道路交通法改正により「特定小型原動機付自転車」という新たな区分が設けられ、最高速度20km/h以下のものは16歳以上であれば免許不要で利用可能となりました。これは、マイクロモビリティの普及を促進し、ラストワンマイル移動の選択肢を増やす上で画期的な一歩です。しかし、同時にヘルメット着用の努力義務、走行場所(車道・自転車道が原則、特例で歩道も可)の明確化など、安全確保のための運用ルールも確立されました。観光地での導入においては、利用者の安全教育や、適切な走行ルートの指定、駐輪場所の確保が現場運営における重要なポイントとなります。
日本版ライドシェア導入の背景と地方での実証実験
タクシー業界の構造的な課題と、地方における公共交通の衰退という背景から、日本版ライドシェアが導入されました。これは、地域住民の移動権を保障し、観光客の利便性を高めるための重要な政策転換です。タクシー事業者の管理下で行われることで、既存事業者のノウハウと信頼性を活用しつつ、新たな担い手を確保する試みです。現在、実証実験が各地で進んでいますが、将来的には、観光繁忙期における移動需要の平準化や、夜間の観光施設のアクセス改善など、地方観光の収益性向上に貢献する可能性を秘めています。一方で、ドライバーの労働条件、利用者へのサービス品質維持、保険制度の充実など、持続可能な制度設計には継続的な議論が必要です。
自動運転レベル4の社会実装に向けた動き
自動運転技術は、政府が掲げる「デジタルライフライン全国総合整備計画」の中核をなすものの一つです。特定の地域やルートにおけるレベル4自動運転の社会実装に向けた法整備や実証実験が加速しており、2025年以降、本格的なサービス開始が期待されます。地域交通の維持困難なエリアでの公共交通代替、観光地におけるシャトルバスとしての活用など、その可能性は多岐にわたります。しかし、事故発生時の責任の所在、システム障害への対応、そして地域住民や一般ドライバーからの受容性といった課題解決には、まだ時間を要するでしょう。これらをクリアし、安全で信頼性の高い自動運転モビリティが普及すれば、運行コストの大幅な削減と、24時間365日対応可能な移動インフラの確立により、地域の持続的な発展に寄与します。
移動データが変える観光マーケティングと地域経済
MaaSアプリや各種スマートモビリティの導入は、利用者から膨大な移動データを収集することを可能にします。このデータは、単なる移動記録に留まらず、観光マーケティングや地域経済の活性化に不可欠な「宝の山」となり得ます。
データを用いた観光客の行動分析とパーソナライズ
MaaSプラットフォームを通じて収集される「いつ、誰が、どこからどこへ、どのような手段で移動したか」というデータは、観光客の行動パターンを詳細に分析するための強力な情報源となります。例えば、特定の観光スポットへのアクセス状況、滞在時間、次に訪れる場所の傾向などを把握することで、人気のスポットや隠れた名所、移動のボトルネックを特定できます。この分析結果に基づき、個々の観光客の興味や過去の行動履歴に合わせたパーソナライズされた観光ルートや情報(例:「このエリアではこのお店がおすすめです」「次に〇〇へ行くと効率的です」)をMaaSアプリ上でリアルタイムに提供することで、観光体験の質を向上させ、消費機会を最大化できます。
地域住民の移動パターン分析による公共交通最適化
地域住民の移動データは、公共交通の運行最適化に直結します。デマンド交通の需要予測、既存バス路線の見直し、新たな交通ルートの開発などに活用することで、より効率的で無駄のない公共交通網を構築できます。これにより、運行コストを削減しつつ、住民の移動ニーズに合致したサービスを提供することが可能となり、公共交通の持続可能性を高めます。また、住民の移動が活発化することで、地域内の商店街や施設への訪問が増え、地域経済の内需拡大にも繋がります。
データ活用による収益(ROI)向上と持続可能性(サステナビリティ)の実現
収集された移動データは、以下のような形で直接的な収益向上と持続可能性に貢献します。
- 観光資源への誘導と消費促進: データ分析に基づき、観光客の未訪問エリアや消費額の低い時間帯へ誘導するクーポンやイベント情報を配信することで、地域内での消費を促します。
- 新たなビジネスモデルの創出: 移動データを基に、地域の特性に合わせたモビリティサービスのサブスクリプションモデルや、移動と連動した飲食・宿泊プランの開発など、新たな収益源を生み出すことが可能です。
- インフラ整備の最適化: 移動需要の高いエリアや時間帯を特定することで、充電ステーション、駐輪場、バス停などのインフラ整備を効率的に行い、無駄な投資を抑制します。
- 地域貢献型マーケティング: 地域の魅力を再発見し、移動データを活用してその情報を戦略的に発信することで、新たな観光客を誘致し、地域ブランド価値を高めます。これは短期的な収益だけでなく、長期的な観光需要の創出に繋がります。
このように、移動データは、地域の移動課題解決だけでなく、観光振興、住民生活の向上、そして経済活性化という複合的な目標達成のための強力な羅針盤となるのです。
現場が直面する課題と未来への展望
先進的なモビリティソリューションの導入は、多くのメリットをもたらす一方で、運用現場では様々な課題に直面しています。
地域住民のデジタルデバイドと利用支援
MaaSアプリの利用はスマートフォン操作を前提としますが、特に地方の高齢者層にはデジタルデバイスの操作に不慣れな方が少なくありません。このようなデジタルデバイドを解消するためには、スマートフォン教室の開催、コールセンターでの電話予約対応、地域コミュニティでのサポート体制構築など、丁寧な利用支援が不可欠です。システム導入だけでなく、住民が「本当に使える」サービスとするための人的サポートへの投資は、持続可能なサービス提供のために避けられないコストとなります。
観光客への多言語対応と分かりやすい情報提供
訪日外国人観光客にとって、MaaSアプリやモビリティサービスの多言語対応は必須です。単なる機械翻訳に留まらず、現地の交通ルールや文化背景を踏まえた、分かりやすい案内や注意喚起が必要です。また、災害時などの緊急情報も多言語で迅速に提供できる体制は、観光客の安全確保と安心感の醸成に直結し、結果として日本の観光地としての信頼性を高めます。
ドライバー不足、車両維持費などの運行コスト問題
自動運転技術が完全に普及するまでの間、ライドシェアやデマンド交通では依然としてドライバーの確保が課題です。また、車両の購入・維持費、充電インフラの整備、システム運用コストなど、新たなモビリティの導入・運用には多額の費用がかかります。これらのコストをいかに効率的に回収し、持続可能な事業モデルを確立するかは、地域が直面する大きな課題です。運賃収入だけでなく、広告収入、データ販売、他のサービスとの連携による付加価値創出など、多様な収益源の確保が求められます。
多様なモビリティ連携によるシームレスな移動体験の実現
最終的に目指すべきは、電車、バス、タクシー、ライドシェア、自動運転、電動モビリティなど、全ての移動手段がMaaSプラットフォーム上で有機的に連携し、利用者が目的地まで最適な方法でシームレスに移動できる体験です。そのためには、各交通事業者の協力とデータの共有、共通の決済システムの導入など、業界横断的な連携が不可欠です。この統合された移動体験こそが、観光客の満足度を最大化し、リピーターを増やす鍵となります。
地域全体での協力体制の構築と、持続的な投資の重要性
MaaSや次世代モビリティの導入は、単一の事業者ができるものではなく、自治体、交通事業者、観光協会、地域住民、そして民間企業が一体となった「共創」の取り組みです。長期的な視点に立ち、初期投資や運用コストだけでなく、地域にもたらされる経済効果や社会貢献を総合的に評価し、持続的な投資を継続していく必要があります。成功事例を共有し、課題を乗り越えるための知見を結集することで、地方の移動課題を解決し、地域経済に新たな活力を生み出すことができるでしょう。
まとめ
観光MaaS、自動運転、ライドシェア、電動モビリティといった革新的な移動ソリューションは、2025年現在、地方が抱える移動課題、特にラストワンマイルの解消に向けて具体的な成果を生み出し始めています。越谷市のMaaS事例に見られるように、これらの技術は単に「便利」なツールに留まらず、地域住民の生活の足としての安定供給、そして観光客への質の高い移動体験提供を通じて、地域の収益性と持続可能性を向上させる可能性を秘めています。
規制緩和や法改正が新たなサービスの導入を後押しする一方で、運用現場ではデジタルデバイドへの対応、安全性の確保、そして高額な運行コストといった課題に直面しています。しかし、これらの課題を乗り越え、移動データを戦略的に活用することで、観光客の行動を分析し、パーソナライズされたマーケティングを展開することが可能になります。これにより、地域内の周遊を促し、消費を喚起することで、地域経済全体への波及効果を生み出します。
未来の観光と地域振興は、テクノロジーと人間の協働によって形作られます。多様なモビリティがシームレスに連携し、データを基盤とした賢い意思決定が行われることで、地域は「不便」を「付加価値」へと転換し、持続的に繁栄する観光地へと進化していくでしょう。そのためには、技術導入だけでなく、地域全体でビジョンを共有し、協力体制を構築し、長期的な視点での投資を継続することが不可欠です。


コメント