はじめに
地方自治体やDMOによるDX推進の報道は後を絶ちませんが、その多くが「アプリを導入しました」「キャッシュレス決済を始めました」といった、導入フェーズのニュースで終わってしまいがちです。真に重要なのは、その導入が地域経済にどのような収益(ROI)と持続可能性をもたらし、地域の意思決定の質をどのように変えたかという点です。
本稿では、観光地として知られる兵庫県豊岡市が推進する行政DXを事例として取り上げ、特に人口減少と職員不足が深刻化する中で、いかにして公共サービスの維持コストをデータ資産に転換しようとしているのかを分析します。この取り組みは、全国の自治体が直面する「公共資産の効率的な管理」という構造課題に対する、汎用性の高い解決策を提示しています。
豊岡市が進める「行政サービスのアセット化」:鍵管理DXの深層
兵庫県豊岡市は、開湯1300年の歴史を持つ城崎温泉を擁する地域でありながら、多くの地方自治体と同様に人口減少と高齢化、そして職員不足という深刻な課題に直面しています。行政サービスの質を維持しつつ、増大する公共施設の管理コストを削減することが急務でした。
この課題に対し、豊岡市は「公共施設の利用・管理のデジタル化」をDXの核に据えました。具体的には、公共施設における利用予約から入退室管理、決済に至るまでの一連のプロセスをデジタルで一元管理する仕組みを導入しました。
(参考情報:マイナビニュース 「兵庫県豊岡市が進める行政DX – Akerun×Spacepadが実現る、人口減少時代の新しい公共サービス」)
導入されたソリューションの具体的な名称と機能
豊岡市が導入した主要なソリューションは以下の通りです。
- スマートロックシステム:Akerun(アケルン)
既存の鍵穴に後付けで設置できるスマートロックです。物理的な鍵の受け渡しを不要にし、利用者に一時的なデジタルキー(暗証番号、QRコードなど)を発行します。これにより、職員が施設の開錠・施錠のために現地へ赴く必要がなくなり、鍵管理の属人性が完全に排除されました。 - 施設予約・管理システム:Spacepad(スペースパッド)
公共施設の予約、利用料金の決済、そしてAkerunとの連携によるデジタルキーの発行を一元的に担うクラウドシステムです。住民や観光客はPCやスマートフォンから24時間いつでも予約・決済・鍵の取得が可能となりました。
このシステム連携によって実現したのは、「無人での施設運用」です。従来の体育館、会議室、公民館、研修施設といった公共施設は、利用者が予約を行う際に窓口対応(職員の配置)、現金での支払い、利用時の鍵の受け渡しと返却など、多くの人的コストが発生していました。
このソリューション導入により、これらの「摩擦コスト」は劇的に削減されました。利用者側は利便性が向上し、行政側は人件費という最大の固定費を削減することが可能になります。
データ活用による意思決定の質的転換
豊岡市のDXの本質は、単なる「無人化」によるコスト削減に留まりません。鍵管理と予約システムがデジタル連携することで、これまでアナログで把握が難しかった「利用実績データ」が自動的に蓄積され、これが行政の意思決定を根底から変え始めました。
蓄積されるデータとそのインサイト
導入されたシステムを通じて、以下の動的なデータが自動的に収集されます。
- 利用日時・利用時間(動的利用率):どの曜日、どの時間帯に、どの施設がどれくらい使われているか。
- 利用者属性:誰が(団体か個人か、地域住民か域外利用者か)、どのような目的で利用したか。
- キャンセル率・予約頻度:需要の安定性や特定の期間における潜在的需要の有無。
これらのデータがなければ、公共施設の維持・廃止の決定は「過去の慣習」や「住民の陳情」といった属人的な要因に頼らざるを得ませんでした。しかし、データが可視化されることで、以下のようなROI駆動型の意思決定が可能になります。
- 施設の適正配置と廃止/統合の判断
利用率が低い施設を特定し、「この施設は利用率が年間を通じてX%以下であるため、廃止・統合し、その資源(人件費、修繕費)を他の高需要な施設またはサービスへ転換する」という客観的な判断を下せます。これは、感情論ではなく、地域全体の資源配分最適化という観点から、行政が責任を持って判断するための強力な根拠となります。 - ダイナミックプライシングの導入基盤
平日の日中など利用率の低い時間帯は料金を下げ、週末の夜間など需要が集中する時間帯は料金を上げるという、柔軟な料金設定(ダイナミックプライシング)の検討が可能になります。これにより、閑散期の利用を促進し、公共施設の収益最大化を図ることができます。 - 職員の再配置とQOL向上
浮いた職員の手間を、真に人手が必要な他の地域サービス(例:福祉、観光案内所での高付加価値対応)に振り向けることができます。これは、職員の疲弊を防ぎ、限られた行政資源を最大限に活用することに直結します。
公共施設の「鍵管理」DXが示す道:データ基盤で行政コストとQOLを両立:https://tourism.hotelx.tech/?p=479
公的補助金と持続可能性への戦略的投資
このような自治体のDX推進は、多くの場合、国や地方自治体の公的補助金や交付金を活用して行われます。
豊岡市を含む多くの地域で、デジタル田園都市国家構想交付金や、それに関連する自治体DX推進事業予算などが活用されていると考えられます。これらの補助金は、初期導入コスト(スマートロック機器代、システム構築費)を賄うために非常に有効です。
しかし、補助金活用の本質は、単に「安く導入できた」ことではありません。重要なのは、「補助金で導入したシステムが、補助金が切れた後に自立的に収益を生み出し、維持管理コストを賄えるか」という点です。
豊岡市の事例が示唆するのは、公共施設管理のDXは、短期的なコスト削減だけでなく、長期的に利用実績データという持続可能な収益資産を生み出す戦略的投資である、という点です。
施設利用のデータは、その施設の「真の価値」を測る指標となり、行政が提供するサービス全体の最適化プランを導きます。データ主導の意思決定によって、税金の使途がより明確化され、住民の納得度(トラスト)も向上します。
他自治体が模倣できる「汎用性の高いポイント」
豊岡市の事例は、特別な観光地でなくとも、全国すべての自治体に適用可能な汎用性の高い教訓を含んでいます。
1. DXの起点は「鍵」と「予約」に絞る
多くの自治体は、多機能な大規模システム導入を試みて失敗しがちです。豊岡市の事例の成功要因は、最もアナログで、最も人的コストがかかり、最も利用者の摩擦が大きい「鍵の管理」と「施設の予約・決済」という二つのポイントに絞ってDXを開始したことです。
この二点は、すべての公共施設(会議室、スポーツ施設、キャンプ場、地域交流拠点など)に共通する基本的な業務であり、最小限の投資で最大の効率化効果とデータ収集効果が得られます。特にスマートロックは既存のインフラを大きく変えずに導入できるため、導入のハードルが低いのが特徴です。
2. データの目的を「施設管理」から「地域資源の収益化」へ転換する
公共施設の利用データは、単なる「施設の管理簿」ではありません。それは、地域の住民や訪れる人が「何を求めているか」「どこにニーズの空白地帯があるか」を示す貴重なデータアセットです。
自治体はこのデータを活用し、需要が高い時間帯の施設の増設を検討したり、逆にニーズが低い施設をコワーキングスペースや多目的観光拠点など、より収益性の高い用途に転用したりする判断が可能になります。
さらに、観光用途で公共施設(例:地域のホール、温泉地の休憩所)を利用してもらう場合、AkerunとSpacepadで取得した利用ログを観光DMOのデータ基盤と連携させることで、観光客の地域内での移動分散や滞在時間の延伸効果を測ることができます。
三大不便解消は序章に過ぎない:摩擦ゼロ体験を収益に変えるデータ信頼性基盤:https://tourism.hotelx.tech/?p=416
3. 現場スタッフの業務負荷を「データ入力」ではなく「データ活用」にシフトさせる
地方の現場業務における課題の一つは、DX推進が「データ入力」という新たな業務負荷を生み出し、現場の反発を招くことです。豊岡市の事例では、AkerunとSpacepadが鍵の受け渡しや予約受付といった本来の非効率な業務を自動化し、その過程で必要なデータを生成します。
これにより、現場スタッフは事務作業から解放され、データを分析し、地域の課題解決のための創造的な業務に時間を振り向けられるようになります。これは、人的リソースが慢性的に不足する自治体にとって、最も持続可能性の高い投資となります。
まとめ:公共施設DXはスマートシティ化への第一歩
豊岡市の事例は、自治体DXの成功が、高額なインフラ投資や複雑なAI導入ではなく、「現場の小さな摩擦点の排除」と「その過程で生成されるデータの体系的な活用」によって達成されることを示しています。
公共施設の鍵管理という地味なテーマに見えますが、これは地域における「時間」「場所」「人」の利用動態を正確に把握するためのトラッキングインフラの構築に他なりません。このデータ基盤の上に、地域交通(移動MaaS)、観光体験の予約、地域通貨の連携といった、より複雑なスマートシティ機能が構築されていくのです。
今後、多くの自治体は、人口減少と財政難の中で、既存の公共資産をいかに持続的に維持し、地域住民のQOL向上と観光収益の両立を図るかという難題に直面します。豊岡市が構築したデータ駆動型の施設管理モデルは、補助金頼みから脱却し、地域資源の価値を最大化する持続的なROIモデルとして、全国の模範となるでしょう。


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