はじめに
2025年現在、観光MaaS(Mobility as a Service)は、単なる移動手段のデジタル化に留まらず、観光体験の質向上、地域住民の生活利便性向上、そして地域経済の活性化に不可欠な要素となりつつあります。特に自動運転、ライドシェア、そして電動モビリティ(電動キックボードやシェアサイクルなど)といった新たな移動手段の台頭は、「ラストワンマイル」の課題解決に大きな可能性を秘めています。しかし、これらの技術やサービスを地域に実装し、持続可能なものとして運用していくためには、技術的な側面だけでなく、法規制、インフラ整備、そしてデータ活用戦略が不可欠です。
本稿では、最新の海外事例としてデンバー市のシェアードモビリティへの取り組みを取り上げ、その詳細を分析することで、観光MaaSが直面する課題と、地域経済に持続的な収益をもたらすための具体的なアプローチを考察します。
デンバー市が示す、都市型モビリティの新たな潮流
米国デンバー市では、都市の移動課題に対応するため、シェアードスクーターおよびシェアサイクル事業者の見直しを行いました。CBS Newsの報道(https://www.cbsnews.com/colorado/video/denver-selects-veo-as-next-shared-scooter-bike-operator-new-rules-coming-this-summer/)によると、デンバー市の交通インフラ局は、2026年春に期限切れとなる既存のLimeおよびBirdとの契約に代わり、新たにVeoを次期事業者として選定しました。この決定は、都市におけるラストワンマイルの課題解決と、住民および観光客の利便性向上を目指すデンバー市の強い意志を反映しています。
デンバー市が抱える課題は、多くの大都市や観光地が直面するものと共通しています。広大な都市空間において、公共交通機関だけではカバーしきれないエリアが存在し、特に駅から目的地までの「あと一歩」の移動が不便であるという「ラストワンマイル」の壁です。これは地域住民にとっては日常生活の足の確保、観光客にとっては観光スポットへのアクセス性低下という形で現れます。従来の交通手段では補えなかったこれらの隙間を、電動キックボードやシェアサイクルが埋めることが期待されています。
Veoの選定と新ルールの導入は、単なる事業者変更以上の意味を持ちます。過去の事業者との経験から得られた教訓を踏まえ、デンバー市は安全性、利用エリア制限、駐車規制などに関する新しいルールを導入することを示唆しています。これは、利便性を追求する一方で、都市景観の保全や歩行者の安全確保といった、住民生活との調和を図ろうとする行政の姿勢が強く表れていると言えるでしょう。
「ラストワンマイル」課題解決と持続可能な移動インフラの構築
電動モビリティは、都市部や観光地におけるラストワンマイルの移動手段として、極めて有効な選択肢です。駅やバス停からホテル、観光名所、あるいは職場や自宅までの短い距離を、手軽かつ環境負荷の低い方法で移動できるため、多くの人々にとって魅力的な選択肢となっています。デンバー市の事例は、この電動モビリティがどのように都市の移動インフラに組み込まれ、持続可能な形での運用を目指しているかを示す好例です。
観光客へのメリット:電動スクーターやシェアサイクルは、観光客に新たな発見と自由な移動体験を提供します。公共交通機関ではアクセスしにくい隠れた名所への訪問や、地域を深く掘り下げる周遊性の向上に貢献します。これにより、観光客の満足度が高まり、滞在期間の延長や消費額の増加にも繋がります。これは、地域経済にとって直接的な収益増を意味します。また、移動の選択肢が増えることで、混雑しやすい人気スポットへの集中を緩和し、観光客を分散させる効果も期待できます。
地域住民の生活の足としての持続可能性:観光客だけでなく、電動モビリティは地域住民の日常的な移動手段としても大きな可能性を秘めています。自動車に依存しない移動手段が増えることで、交通渋滞の緩和、駐車場不足の解消、そしてCO2排出量の削減といった環境改善に貢献します。特に地方都市においては、高齢化に伴う運転免許返納者の増加や公共交通の衰退により、移動手段の確保が喫緊の課題となっています。電動モビリティは、これらの地域における生活の質を維持・向上させるための重要なツールとなり得ます。例えば、通勤・通学、買い物、病院への通院など、短距離移動の代替手段として定着すれば、地域社会の持続可能性に大きく貢献します。
収益(ROI)とサステナビリティ:Veoのようなシェアードモビリティ事業は、単に移動サービスを提供するだけでなく、地域経済に新たな収益機会と持続可能性をもたらします。事業者は利用料金から収益を得るだけでなく、地域の雇用創出、関連産業(メンテナンス、充電インフラなど)の活性化にも繋がります。また、都市の魅力が向上することで、新たな投資や人材誘致にも繋がり、結果として税収増といった間接的な経済効果も期待できます。公共交通機関との連携を強化し、MaaSプラットフォームに統合することで、利用者の利便性を最大化し、サービスの利用促進と収益の安定化を図ることが重要です。(あわせて読みたい:移動の課題解決:観光MaaSで地域経済に収益と持続可能性を)
進化する規制と法改正:安全と利便性のバランス
新しいモビリティサービスが普及する上で、規制や法改正は避けて通れないテーマです。デンバー市が導入を検討している「新ルール」は、まさにこのバランスを模索する行政の姿勢を示しています。利便性を高める一方で、過去に問題視された無秩序な駐車、歩行者との衝突事故、利用者のマナー問題などに対応するため、より厳格な運用ガイドラインが設けられることが予想されます。これには、専用駐輪スペースの義務化、最高速度の制限、特定のエリアでの走行禁止、利用可能時間の指定などが含まれるでしょう。
日本においても、電動キックボードに関する規制は大きく変化しています。2023年7月1日に施行された改正道路交通法では、一定の条件を満たす電動キックボードが「特定小型原動機付自転車」として新たな車両区分に位置づけられました。これにより、運転免許が不要となり(16歳以上)、ヘルメット着用が努力義務となるなど、利用へのハードルが大幅に下がりました。この法改正は、電動キックボードの普及を後押しする一方で、安全性確保のための課題も浮き彫りにしています。
地方自治体や観光地が電動モビリティサービスを導入する際には、以下の点に留意する必要があります。
- インフラ整備:安全な走行空間(車道走行の徹底、必要に応じた専用レーン)、駐輪スペースの確保。
- 安全性教育と啓発:利用者への交通ルール・マナーの徹底、事故防止のための安全講習。
- 地域住民との共存:歩行者との動線分離、騒音対策、放置問題への迅速な対応。
- 事故発生時の対応:保険制度の整備、迅速な事故処理体制。
これらの課題に対し、行政と事業者が連携し、地域の実情に合わせた柔軟な規制と運用モデルを構築していくことが、サービスの持続的な発展には不可欠です。(あわせて読みたい:地方の移動DX:新技術で「不便」解消、地域経済に収益と持続性)
移動データが拓く観光マーケティングの新境地
観光MaaSや電動モビリティサービスが普及することで得られる最も価値ある資産の一つが、移動データです。Veoのような事業者は、利用時間、利用頻度、出発地と目的地、走行ルート、滞在時間といった多種多様なデータを収集します。これらのデータは、単にサービス改善に役立つだけでなく、観光マーケティングや都市計画に革命をもたらす可能性を秘めています。
観光マーケティングへの還元:
- 行動パターンの可視化:観光客がどの時間帯にどのエリアを訪れ、どの交通手段を使い、どこにどれくらいの時間滞在しているかを把握できます。これにより、人気の観光スポットや、逆にこれまで注目されてこなかった「隠れた名所」を発見し、新たな観光コンテンツの開発に繋げられます。
- 周遊ルートの最適化:データに基づいて、観光客が自然に移動するルートや、公共交通機関との連携が効果的な地点を特定し、最適な周遊ルートを提案できます。これにより、特定のエリアへの混雑集中を避け、地域全体の分散型観光を促進します。
- パーソナライズされた情報提供:個々の利用者の移動履歴や好みに基づいて、飲食店、宿泊施設、イベントなどの情報をリアルタイムで提供することで、観光体験の満足度を向上させ、消費を促します。
- プロモーション戦略の立案:データ分析により、特定の国籍や年齢層の観光客がどのような移動パターンを持つかを把握し、効果的なプロモーション戦略や広告出稿に活用できます。
地域住民の生活の質向上への貢献:
- 交通インフラの最適化:住民の移動データを分析することで、公共交通機関の空白地帯や、新たなバス路線、サイクルレーンの必要性などを特定できます。これにより、より効率的で住民ニーズに合致した交通インフラの整備計画を立案できます。
- 都市計画へのフィードバック:人々の移動動線や滞留地点のデータは、公園、商業施設、公共施設の配置など、都市の空間利用計画に貴重なインサイトを提供します。
もちろん、これらのデータを活用する際には、プライバシー保護が最大の懸念事項となります。匿名化や個人情報が特定できない形でのデータ処理、そして透明性のあるデータ利用ポリシーの策定が不可欠です。利用者の同意を適切に得た上で、データの恩恵を最大限に引き出す仕組みを構築することが求められます。
日本の観光地・都市への適用可能性と課題
デンバー市の事例は、日本の多くの観光地や都市にとっても示唆に富んでいます。特に、地方の過疎地域や二次交通が脆弱な観光地では、電動モビリティがラストワンマイルの課題を解決し、地域経済に新たな活力を吹き込む可能性があります。
メリット:
- 都市部での交通効率化:都心部では、短距離移動における自動車利用の抑制、公共交通機関の混雑緩和、そして環境負荷の低減に貢献します。
- 観光地の二次交通強化:バスや鉄道が少ない観光地において、観光客の移動手段を確保し、周遊性を高めることで、滞在期間の延長や消費拡大に繋がります。(あわせて読みたい:住民と創る移動DX:ラストワンマイルの課題解決と地域経済の成長)
- 地域振興と新たな雇用創出:モビリティサービスの導入は、運営・メンテナンス・充電インフラ整備など、新たな産業と雇用を生み出す可能性があります。
- 環境に優しい観光推進:電動モビリティは排出ガスを出さないため、エコツーリズムや持続可能な観光を目指す地域にとって、強力なツールとなります。
デメリット・課題:
- インフラの制約:日本の道路は狭く、歩道と車道の区分けが不明瞭な場所も多いため、電動キックボードやシェアサイクルが安全に走行できる空間の確保が大きな課題です。専用レーンの設置や、特定の地域での走行禁止など、物理的なインフラ整備と運用ルールが不可欠です。
- 安全性への懸念:利用者の安全意識の差や、歩行者との共存におけるリスクが依然として存在します。事故発生時の責任問題、保険制度の整備も重要です。
- 規制の柔軟性:改正道路交通法により一定の規制緩和は進みましたが、地域ごとの実情に合わせた、より柔軟な運用ルールや、特定の観光地・エリアに特化した規制緩和が求められる場合があります。
- 収益性の確保:事業を継続的に運営するためには、初期投資の回収、メンテナンス費用、駐輪スペースの確保にかかるコストなどを踏まえ、利用料金設定や補助金制度を含めた持続可能なビジネスモデルが必要です。
- 住民との摩擦:無秩序な放置、走行マナー、騒音などが住民との摩擦を生む可能性があります。地域住民への十分な説明と理解を求めるプロセスが不可欠です。
- 気候変動への対応:冬季の積雪地帯や、雨の多い地域では、電動モビリティの利用が制限されることもあり、通年での利用を前提とした多様なモビリティサービスの組み合わせが求められます。
これらの課題を克服するためには、行政、モビリティ事業者、観光関連事業者、地域住民が密接に連携し、実証実験を重ねながら、日本独自のモデルを構築していく必要があります。データに基づいた課題の特定と解決策の実施、そして社会受容性の醸成が成功の鍵を握るでしょう。(あわせて読みたい:地方の移動革命:MaaSと自動運転が拓く、観光と地域経済)
まとめ
観光MaaSと電動モビリティは、地域における「ラストワンマイル」の課題を解決し、観光客と地域住民双方の移動体験を向上させる強力なツールです。デンバー市の事例が示すように、これらのサービスを導入する際には、単なる技術導入に終わらず、地域の実情に合わせた規制の設計、安全性の確保、そして持続可能な運用モデルの構築が不可欠です。
特に、モビリティサービスから得られる移動データは、観光マーケティングの高度化や都市計画の最適化に大きく貢献し、地域経済に直接的・間接的な収益をもたらす可能性を秘めています。データは、観光客の隠れたニーズを掘り起こし、新たな体験価値を創造するための羅針盤となるでしょう。一方で、プライバシー保護の観点も忘れず、倫理的なデータ活用を徹底する必要があります。
日本においても、地方創生やインバウンド観光の質向上を目指す上で、電動モビリティを含む観光MaaSは、なくてはならない存在となるでしょう。官民連携による効果的な政策立案と、現場のリアルな声に基づいた運用改善を継続することで、これらの技術が地域経済に真の収益と持続可能性をもたらす未来を築くことができます。これからの観光MaaSは、移動の「不便」を解消するだけでなく、地域全体の価値を高め、新しい経済圏を創造する起爆剤となるはずです。


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