はじめに
自治体やDMOが推進するDX(デジタルトランスフォーメーション)の動きは、単に紙をデジタルに置き換える「デジタイゼーション」の段階を終え、いよいよ「データに基づいた意思決定」へとシフトする段階に入りました。この転換は、限られた予算とリソースの中で地域経済の持続可能性を担保するために不可欠です。
これまでの観光行政の意思決定は、多くの場合、地域の「勘と経験」、あるいは過去の成功事例に基づくものでした。しかし、コロナ禍を経て観光客の行動様式が多様化し、インバウンドの回復と同時にオーバーツーリズムの問題が顕在化する現在、こうしたアナログな手法では実効性の高い施策を打つことができません。
重要なのは、デジタル投資(DX)を「収益と持続性」にどう結びつけるか、そのためのデータ分析と活用体制をどう構築するかです。本稿では、東京都が推進する具体的な支援事業を事例に取り上げ、データ活用がいかに地域の課題解決と意思決定を変革しているかを分析し、他の地域が模倣できる汎用性の高いモデルを考察します。
公的支援事業の核心:データ駆動型意思決定への転換
自治体DXの推進において、国や自治体による補助金・支援事業は初期投資を賄う重要な役割を果たします。東京都が実施した「DXによる観光データ活用等支援事業」はその代表例であり、その目的は明確に「観光分野での”経験や勘”に頼らないデータ活用の事例」を生み出すことにありました。(出典:観光経済新聞 データ活用で東京観光の未来を切り拓く 都内3地域の実践報告会を2月25日開催)
この事業のポイントは、特定のソリューション導入を目的とするのではなく、「地域課題の明確化」と「その解決に資するデータの特定・収集・分析」というプロセス自体に予算を投じた点にあります。支援を受けた中央区、墨田区、青梅市といった地域は、それぞれ異なる観光特性と固有の課題を抱えています。
導入されたソリューションと機能:エリア課題に応じたデータ取得戦略
この事業で導入されたソリューションは、大規模な統合システムというよりも、特定の課題解決に特化したデータ取得ツールと分析ダッシュボードが中心となります。現場のリアルな課題と、それに対応したソリューションの適用例を見てみましょう。
1. 周遊促進と滞留地点の特定:墨田区の事例
墨田区は東京スカイツリーという強力な集客力を持つランドマークを有していますが、観光客の行動がスカイツリー周辺に集中し、他の地域資源(例:江戸文化施設、すみだリバーサイド)への周遊が伸びないという課題がありました。
- 導入ソリューションの機能: 人流解析ツール(Wi-Fiプローブ、GPSデータ連携)およびSNS分析ツール。
- データ活用の目標: スカイツリーからの訪問客が、どの時間帯に、どのルートを通って、他の観光スポットや商店街へ移動しているかを可視化すること。
従来の施策は「パンフレットの配置」や「目立つ案内表示」といった、供給側の論理に基づいたものが中心でした。しかし、データ活用によって、例えば「スカイツリー来訪者のうち、滞在時間が3時間以上の層は、〇〇時頃に地元の飲食店を利用する可能性が高い」といった具体的な行動パターンを把握できます。このデータに基づき、デジタルサイネージの設置場所や、連携する飲食店のクーポン配布時間など、施策のタイミングとターゲットを最適化することが可能になります。
2. 観光客の属性とニーズの深掘り:青梅市の事例
東京都の西部に位置する青梅市は、都心からのアクセスが容易ではないものの、豊かな自然やレトロな街並みといった地域独自の魅力を持ちます。課題は、マス層ではなく、その地域固有の体験を求める層(富裕層、特定の趣味を持つ層など)をいかに確実に誘致し、滞在消費につなげるかです。
- 導入ソリューションの機能: 地域独自の観光アプリ(MaaS機能を含む可能性)、アンケート・予約データ統合プラットフォーム。
- データ活用の目標: 来訪者の居住地、年齢層、利用交通手段、そして予約した体験内容(例:ハイキング、クラフト体験)を紐付け、どのような旅程で地域を訪れているかを特定すること。
青梅市のデータ活用は、単なる集客数(Quantity)ではなく、訪問客の質(Quality)に焦点を当てています。例えば、週末にハイキング目的で訪れる層は、移動手段として自家用車を利用し、宿泊先よりも日帰り温泉や地元の道の駅で高額な消費をする傾向がある、といった知見が得られれば、予算を宿泊誘致ではなく、道の駅や日帰り温泉のインフラ整備、およびデジタル決済環境の充実に集中させることができます。
「データ活用」が変えた地域の意思決定
これら東京の事例は、データ活用が地域の意思決定に構造的な変化をもたらすことを示しています。
ROIに基づく施策の「中止」と「集中」
最も大きな変化は、施策の予算配分が「勘」から「ROI(投資対効果)」ベースに移行したことです。
【過去の意思決定】
「このイベントは毎年やってきたから今年もやるべきだ」「Aという観光資源は歴史があるからもっとアピールすべきだ」
【データ駆動型意思決定】
例えば、墨田区での周遊データ分析の結果、特定の商店街への誘導施策が、実際には観光客の滞在時間や消費額増加に全く寄与していないことが判明した場合、その施策は翌年度予算から**容赦なく中止**されます。その予算は、逆に高い効果が確認された「夜間の飲食誘致」や「体験予約プラットフォームの強化」といった施策に集中投資されます。
これにより、自治体やDMOは、限られた公的資金や補助金を、確実な収益につながるポイントに集中投下することが可能になり、地域経済の効率性が向上します。データは「何をするか」だけでなく、「何を止めるべきか」という難しい意思決定を裏付ける論拠となるのです。(あわせて読みたい:AI専門知の標準化:観光DXを持続的収益基盤へ転換せよ)
リアルタイム性の確保と迅速な対応
従来の観光統計データは、集計に時間がかかり、施策に反映される頃には状況が変わっていることが多々ありました。しかし、人流データやSNS解析データをリアルタイムで参照するソリューションの導入により、意思決定のスピードが向上します。
例えば、オーバーツーリズムの兆候が見られた際、特定のエリアの混雑度をリアルタイムで可視化し、「混雑が〇〇%を超えたら、デジタルマップ上で迂回ルートを推奨する」「地域交通機関に臨時の運行を依頼する」といった**事前設定された対応プロトコル**を自動的に起動できます。これは、現場のスタッフが経験や勘で対応していた状況を、データに基づいて標準化し、リスクを低減する効果があります。
特に地方において、観光客の「ラストワンマイル」の移動における不便さ(バスの待ち時間、運行ルートの不透明さなど)は客単価停滞の大きな要因です。移動データをリアルタイムで分析し、需要に応じた柔軟な交通サービスを提供することは、顧客満足度向上と同時に交通インフラの維持収益に直結します。(あわせて読みたい:移動データで担い手を自立せよ:観光MaaS持続化の鍵はモビリティ・フィンテック)
他の自治体が模倣できる「汎用性の高いポイント」
東京の事例は都市部特有の環境下での取り組みですが、その成功の要因には、規模や地域を問わず模倣できる汎用性の高いアプローチが含まれています。
1. 課題起点のスモールスタートと「問い」の設計
多くの地域がDXに失敗する原因は、目的もなく高価な基盤システムを導入してしまうことにあります。東京の事例が示したのは、「まずは特定の地域課題(周遊しない、属性が分からないなど)を特定し、その課題解決に必要な最小限のデータは何か」という問いから始める重要性です。
大規模なスマートシティ構想は壮大ですが、現場スタッフや地域住民のリアルな困りごとからスタートし、その解決に必要なデータだけを集めるスモールスタートが、確実なROIにつながります。地域のDMOや観光協会は、まず「私たちが本当に知りたいこと(意思決定を左右するデータ)」を一つに絞り、そのデータ取得と分析に特化したソリューション(高額ではないSaaS製品や公的機関のオープンデータなど)を活用すべきです。
2. データの「住所」をデジタル化する基盤DX
収集したデータが有効に機能するためには、そのデータが「どこで発生したか」という位置情報が極めて正確でなければなりません。アナログな住所表記や、ばらばらの緯度経度情報では、異なるデータセット(人流データ、決済データ、予約データなど)を統合して分析することができません。
この東京都の事例に限らず、データ駆動型の意思決定を支える上で、地域内の全ての観光資源、交通結節点、宿泊施設に、高精度かつ共通化された「デジタルアドレス」を付与する基盤整備は必須です。この基盤が整って初めて、滞在時間の延長や消費行動といった「収益」に直結する分析が可能になります。この基盤がなければ、全てのデータはサイロ化し、結局は「勘と経験」の域を出ることができません。(あわせて読みたい:アナログな住所の罠を断て:基盤DXで叶えるデータドリブンな地域意思決定)
3. 補助金は「運用」ではなく「収益モデル確立」に使う
公的補助金は、多くの場合、ツールの購入や初期の実証実験に投じられます。しかし、補助金が切れた途端にシステムが塩漬けになる事例も散見されます。
成功事例が示唆するのは、補助金は「データ活用による収益向上効果を証明する実証期間」に利用し、その効果が証明されたら、システム維持費や運用費を、データ活用によって得られた追加の収益(例:観光税徴収効率の向上、誘致層の客単価向上、イベント収益の増加)で賄う持続可能なモデルへ移行することです。
DMOや自治体は、データ活用プロジェクトの企画段階で、そのデータが具体的に「どの事業の収益を、どの程度改善するか」というKPI(重要業績評価指標)とROIを明確に設定し、補助金ありきの運用から脱却する意識を持つことが求められます。
東京都の事例は、大都市圏であっても、個々の地域が抱える構造的な観光課題に対して、データ活用が「勘」ではない確かな根拠を提供し、施策の精度と効率を劇的に向上させることを証明しました。これは、リソースがより限られている地方自治体にとって、DX投資を真の地域収益と持続可能性につなげるための重要な羅針盤となるはずです。


コメント