はじめに:地方観光の課題「量から質への移行」を阻む摩擦
日本の地方自治体やDMOが推進するDX(デジタルトランスフォーメーション)の多くは、「三大不便の解消」(情報、交通、決済)といった利便性の向上を目的としてきました。しかし、インバウンド市場が成熟し、高単価な消費を誘致する「量から質への移行」が喫緊の課題となる現在、単なる利便性向上では、地域経済の構造的な収益力の低さを解決できません。真のDXとは、顧客が支払う対価に見合う「高付加価値体験」を提供し、それをデータによって保証する仕組みの構築に他なりません。
この課題に対し、デジタル技術と人間の専門知識を融合させ、富裕層向けの超高付加価値な体験を収益化している先進的な事例が、北海道の大雪山系エリアで見られます。ここでは、特定のターゲット層のニーズに極限まで合わせる「テーラーメイド型」のDX戦略が採用されています。
北海道大雪山系が挑む高単価DX:JAPOW Appの実装
北海道は世界有数のパウダースノー(JAPOW)の目的地として知られています。特に大雪山系のエリアは、その広大さと奥深さゆえに、最高の雪質と安全を確保するためには熟練したガイドの「属人的な専門知」が不可欠でした。しかし、この属人性が、サービス提供の拡張性や、価格設定の透明性を阻害する要因ともなっていました。
この地域の観光業者(BL Pro Inc.)などが提供しているのが、富裕層のスキーヤー・スノーボーダーをターゲットとした「JAPOW App」を中核とするトータルコンシェルジュサービスです。(引用元:The National Law Review, Tailor-Made Itinerary Design at the Heart of JAPOW: Hokkaido’s Daisetsu Powder Belt)
この取り組みは、単なるアプリ提供ではなく、データ活用を通じてサービスの信頼性を高め、その結果として高額な価格設定(記事によると1日あたり16,000円/最大4名グループ)を正当化する収益構造を生み出しています。
ソリューションの核心:データと「人」を組み合わせた動的制御
JAPOW Appが提供するのは、デジタルによる「利便性」だけではありません。その真価は、高単価顧客が最も価値を置く「最適な体験」と「安全性」を、データ駆動で保証する点にあります。
導入ソリューションの具体的な機能:
- パーソナライズド・プランニング(事前データ収集): 予約客は、渡航前に専用のコンシェルジュと英語でのビデオ通話を行います。この段階で、個人のスキー/スノーボードの技術レベル、体力(Endurance)、具体的な嗜好(どのような地形や雪質が好きか)といった、体験設計の根幹となる「信用データ」を収集します。
- オン・トリップ・オンラインコンシェルジュサポート(リアルタイム・動的データ活用): 滞在中、ゲストは専属のコンシェルジュとビデオ通話で繋がった状態を維持します。コンシェルジュは、現地のリアルタイムな気象データ、積雪データ、リフトの運行状況、そしてエリアの最新の混雑状況を統合的に分析します。
- リアルタイム・ルート調整: この収集されたデータに基づき、コンシェルジュは「デジタルデータだけでは判断できない、その日最高のパウダーを滑れる安全なルート」を瞬時に判断し、ゲストに指示を出します。また、スキー以外のロジスティクス(移動、宿泊、食事の手配)に関しても、ストレスをゼロにするサポートをリアルタイムで行います。
ここで重要なのは、コンシェルジュが単なるオペレーターではなく、「高度な専門知を持つガイド」の役割を遠隔で果たす点です。デジタル技術は、この属人知を補助し、提供スピードと安全性の「信用保証」を高めるインフラとして機能しているのです。
あわせて読みたい:属人化する専門知の収益化停滞:AIで知見を標準化し持続的ROIを掴め
データ活用が変えた意思決定の質
従来、極上のパウダースノー体験の提供は、現地のガイドの「勘と経験」に大きく依存していました。その日の風向き、温度変化、雪の安定性など、複雑な要因を瞬時に判断する必要があり、この専門知は簡単に標準化できませんでした。
データ活用による意思決定の変革:
1. 収益機会の最大化(客単価の安定化): 事前ヒアリングで得られた顧客の技術レベルと期待値データにより、サービスの提供側は、顧客が求める「極上の体験」を具体的に設計できます。これにより、「体験の失敗」リスクが大幅に減少し、高額なサービス料金に対する顧客満足度(そして次回の予約意欲)が向上します。データは、高単価設定を支える「信用」の根拠となるわけです。
2. 安全管理の標準化と拡張性: パウダースキーにおける最大の課題は「安全」です。天候や雪況のリアルタイムデータと、長年の経験に基づく「専門知」がアプリを通じて統合されることで、安全確保のための意思決定が迅速かつ多角的に行えるようになります。これにより、熟練ガイド一人あたりの対応可能範囲が広がり、属人性に依存しがちだった「安全品質」の維持が可能になりました。これは、ビジネスとしてサービスを拡張していく上で必須の要素です。
3. 地域資源の動的配分: どの時間に、どのエリアに、どれくらいのレベルの顧客を誘導するかをリアルタイムデータに基づいて制御できます。これにより、特定の人気スポットへの集中を避け、広大なエリア全体の資源を効率的に使い切ることが可能となり、結果として顧客体験の質の維持と地域資源の保護を両立させます。
汎用性の高いポイント:属人知を信用資産に変える新モデル
このJAPOWの事例が、他の自治体や観光地にとって汎用性が高いのは、日本中の地方に存在する「属人化された専門知」を収益源に変える具体的な方法論を示しているからです。
1. 専門知のデジタル・フレーム化:
多くの観光地には、特定の専門家(例:伝統工芸の職人、秘境のガイド、歴史の語り部)が存在しますが、その知見は「口伝」や「経験」に頼っています。JAPOWのモデルは、この専門知をデジタル(ビデオ通話やアプリのインターフェース)を介して顧客のニーズデータと結びつけ、最適なアウトプット(ルート、手配)を提供するフレームワークを確立しました。
これは、秘湯の温泉宿の女将の知恵、あるいは特定の祭りの運営ノウハウなど、地域に埋もれた専門知を、デジタルコンシェルジュサービスとしてパッケージ化し、高額な対価を得るための基礎となり得ます。
2. 「移動の摩擦ゼロ化」を収益の構成要素に組み込む:
地方における移動(ロジスティクス)は、観光客にとって大きなストレス源であり、「三大不便」の最たるものです。従来のDXでは、これを「無料で解消すべきコスト」と捉えがちでした。しかし、JAPOWモデルは、移動のストレスや情報収集の煩雑さ(摩擦)を、専属コンシェルジュによるサービス提供によって完全にゼロにすることを保証し、その保証費用をサービス価格に組み込んでいます。
つまり、「不便を解消すること」自体を、高単価な富裕層向けの「高級サービス」として定義し直しているのです。これは、地方交通の赤字問題に悩む地域にとって、移動インフラをコストではなく、データとサービスによって収益資産に変えるヒントとなります。
あわせて読みたい:観光DXの真価は収益再設計:データ基盤で高付加価値体験を自動誘導
ROIと持続可能性:インフラ維持コストを支える収益基盤
自治体やDMOがDX投資を行う際、常に問われるのはROI(投資対効果)です。特に、デジタル田園都市構想などの公的補助金が終了した後も事業を持続させるためには、自己財源を確保できる収益モデルが必要です。
JAPOWの事例は、ROIを最大化する鍵は、「集客の効率化」ではなく、「体験価値の向上と単価の保証」にあることを示唆しています。
- ROIの構造転換: わずかな高単価顧客(ニッチな富裕層)に集中し、彼らの満足度とリピート率を極大化することで、総収益を高めます。これは、大人数を集めるマスツーリズムに比べて、地域インフラへの負荷が低く、持続可能な収益モデルです。
- 持続可能性(サステナビリティ)への貢献: 収集したデータは、どのエリアがオーバーユースされているか、どのエリアが未利用かを示します。これにより、環境負荷を最小限に抑えつつ、地域資源を最大限に活用する戦略的な意思決定が可能になります。また、高単価なサービス提供を通じて得られた収益は、地域のガイド人材の育成や、山岳インフラの維持管理に再投資される可能性が高く、地域全体のQOL向上に貢献します。
このモデルは、DXを「コスト削減」や「利便性向上」ではなく、「収益構造の再設計」と捉え、データと専門知を融合させることで、持続的な高付加価値体験を生み出すための青写真となります。地方が持つ固有の「専門知」を、データとサービスで信用保証し、高単価で流通させることこそ、現代の観光DXの主戦場です。


コメント