はじめに:移動の「摩擦」を地域収益の「エンジン」に変える視点
観光地における「ラストワンマイル」の不足は、単なる交通利便性の問題ではありません。それは、旅行者が消費を行う機会を物理的に遮断している「経済的損失」そのものです。駅から目的地へ、あるいは宿泊施設から飲食店へのわずか数百メートルの移動が困難であるために、観光客は行動範囲を狭め、地域に落とすべきはずの資金を持ち帰ってしまいます。
2025年から2026年にかけて、日本の観光MaaS(Mobility as a Service)は、単なる「便利な移動手段の提供」というフェーズを脱し、移動データを地域経済のROI(投資対効果)に直結させる「地域収益OS」の基盤へと進化する必要があります。自動運転、ライドシェア、電動キックボードといった新技術の導入を「コスト」ではなく「投資」として捉え、いかに持続可能なビジネスモデルとして着地させるかが、自治体や観光事業者に問われています。
規制緩和が拓く「移動の民主化」とラストワンマイルの解消
近年の法改正は、ラストワンマイルの課題解決を強力に後押ししています。2023年7月の改正道路交通法施行により、最高速度20km/h以下の電動キックボード等が「特定小型原動機付自転車」として定義され、16歳以上であれば免許不要で利用可能となりました。この規制緩和は、地方都市や温泉街において、これまで公共交通機関がカバーしきれなかった「細い路地」や「点在する観光スポット」を繋ぐ強力な武器となっています。
さらに、2024年4月から一部解禁された「日本版ライドシェア」や、特定条件下での完全自動運転(レベル4)の社会実装に向けた動きは、慢性的なドライバー不足に悩む観光地の救世主となり得ます。ここで重要なのは、これらの手段を導入すること自体が目的ではないという点です。重要なのは、移動の摩擦をゼロにすることで、旅行者の「滞在時間の延長」と「立ち寄り箇所の増加」を引き出し、結果として地域全体の客単価を最大化することにあります。
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ベルリンの事例に見る、輸送テクノロジーと観光需要の相関
グローバルな視点で見ると、移動手段の進化が観光客の流入にどれほどの影響を与えるかが明確になります。ドイツのメディア「Tourism Review」が報じたベルリンの観光動向に関するニュース(BERLIN RECORDED FEWER OVERNIGHT STAYS IN 2025)によれば、2025年のベルリンは宿泊者数が一時的に減少したものの、2026年の展望は非常に明るいとされています。
その最大の根拠の一つとして挙げられているのが、輸送テクノロジーの世界最大級の見本市である「InnoTrans(イノトランス)」の開催です。このニュースは、輸送技術の進歩が国際的なビジネス客や観光客を呼び込む強力な磁石になることを示唆しています。ベルリンは、鉄道網の高度化や次世代モビリティの実装において欧州の先駆者であり、都市全体の「移動の質」を高めることが、観光地としての競争力を維持するための大前提であると認識しているのです。
日本に置き換えた場合、これは特定のイベントに依存するのではなく、日常的な「移動のインフラ」をテクノロジーでアップデートし続けることが、インバウンド市場における選好性を高めることを意味します。例えば、多言語対応のMaaSアプリを通じて、ワンタップで電動キックボードの解錠から決済まで完結する環境を整えることは、外国人旅行者が感じる「移動の不安」という最大の摩擦を解消する直球の解決策となります。
観光客と地域住民が共生する「持続可能な足」の設計
MaaSや自動運転の導入において、避けて通れないのが「持続可能性(サステナビリティ)」の視点です。観光客専用の移動手段を構築するだけでは、閑散期の稼働率低下やメンテナンスコストの増大により、補助金が切れた途端に事業が頓挫するリスクが高まります。
真に持続可能なモビリティ戦略とは、観光客の利便性と地域住民の「生活の足」を高度に統合することです。例えば、昼間は観光客が観光スポット巡りに利用する自動運転シャトルを、早朝や夜間は高齢者の通院や買い物支援、あるいは物流のラストワンマイル(小口配送)に活用する。このようにアセットの稼働率を最大化させることで、公共交通機関を維持するためのコストを地域全体で分担し、収益化を図る構造が不可欠です。
また、ライドシェアの担い手として地域住民が参加することは、単なる労働力不足の解消に留まらず、住民が観光収益を直接的に享受する仕組みを作ることにも繋がります。これは「観光公害(オーバーツーリズム)」に対する住民の負の感情を緩和し、地域一体となったおもてなしの土壌を育むことにも寄与します。
移動データを「収益資産」へ昇華させるマーケティング革命
MaaSの実装によって得られる最大の副産物は、旅行者の詳細な「移動ログデータ」です。これまで把握が困難だった「旅行者がどこで足を止め、どのルートを選び、どこを素通りしたのか」という動態データは、観光地の経営戦略を根底から変える価値を持ちます。
例えば、特定の場所で多くの旅行者が足を止めているが、付近に飲食店や土産物店がないことがデータから判明すれば、そこにキッチンカーを配置したり、ポップアップストアを誘致したりといった、データに基づいた「攻めの投資」が可能になります。あるいは、特定のルートに集中する人流を、リアルタイムのクーポン配信やモビリティの料金変動(ダイナミックプライシング)によって他エリアへ誘導し、混雑緩和と回遊性向上を同時に実現することも可能です。
移動データは、単なる記録ではありません。それは、地域全体のLTV(顧客生涯価値)を高めるための「意思決定の根拠」であり、外部からの投資を呼び込むための「エビデンス」です。移動コストを単なる経費として計上する時代は終わり、それを収益を生むためのインフラとして再定義する経営感覚が求められています。
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結論:2026年に求められる「収益OS」としてのモビリティ戦略
2026年に向けて観光地が生き残るための鍵は、最新のガジェットを導入することではなく、「移動・データ・収益」が循環する構造を構築することにあります。電動キックボードや自動運転は、あくまでその循環を加速させるためのツールに過ぎません。
自治体や事業者は、以下の3点を自問する必要があります。
1. その移動手段は、旅行者の消費障壁を物理的に取り除いているか。
2. 観光客と住民の双方にメリットをもたらし、補助金なしで自走できる収益性があるか。
3. 得られた移動データは、次の収益を生むための具体的な施策に活用されているか。
「移動」という行為を、コストから価値創造の源泉へと転換できた地域だけが、インバウンドの激しい競争の中で、持続可能な発展を遂げることができるのです。私たちは今、テクノロジーを駆使して地域の血流である「モビリティ」を再定義し、真の意味で稼げる観光経営を確立すべき局面に立っています。
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