オーバーツーリズムは幻想だった:観光DXの成否を分けるデータ基盤投資

海外メディアに見る「日本の観光地」の評価

はじめに:海外メディアが指摘する「オーバーツーリズムの嘘」

日本のインバウンド市場は記録的な回復を見せていますが、観光地や地域住民の間では「オーバーツーリズム」に対する懸念が根強く残っています。しかし、この問題の本質は本当に「観光客が多すぎる」ことなのでしょうか。

海外の専門メディアは、この表面的な議論の裏に隠された、より構造的な問題を指摘しています。大手旅行業界メディアであるSkiftは2026年2月、日本の最大手旅行会社であるJTBの社長兼CEO、山北栄二郎氏のコメントを引用し、日本の観光業が直面する真の課題はオーバーツーリズムではなく、「流通(Distribution)」であると報じました。(JTB CEO Says Japan’s Tourism Problem Is Distribution, Not Overtourism – Skift)

これは、日本全体として見れば観光客を受け入れるキャパシティは十分にあるにもかかわらず、旅行者が東京、京都、大阪といった特定のメガシティに過度に集中している現状を指しています。この指摘は、私たちが観光DXを推進する上で、単なる「混雑解消」ではなく、「地域経済への収益の公正な分散」というROI駆動型の目標に焦点を移す必要性を示唆しています。

海外から見た日本の評価点と決定的な弱点

評価されている点:文化の深さと高質な体験

海外の富裕層や知識層の旅行客が日本に求めるのは、単なる名所巡りではなく、その地域ならではの深い文化体験、洗練された食、そして壮大な自然です。特に、地方にこそ存在する固有の「専門知」(例:伝統工芸の工房、独自の食文化、秘境の自然ガイドの知識)の価値は極めて高く評価されています。

彼らは高額を支払う準備がありますが、その高付加価値な体験を求める過程で、日本特有の構造的な壁に直面します。

記事が指摘する日本の「流通」の弱点

山北CEOが指摘する「流通問題」は、単なる物理的な移動の不便さ(二次交通の不足)に留まりません。これは、「情報の流通」「移動体験の流通」「収益の流通」という三層の断絶を示しています。

  1. 情報の流通の断絶:地方の隠れた魅力や高付加価値な体験が、海外の有力な旅行客(特に富裕層やFIT:個人旅行者)に届いていない。情報が属人化していたり、英語・多言語対応が不十分な地域サイトに埋もれていたりする。
  2. 移動体験の流通の断絶:地方へのアクセス、特にラストワンマイルの移動が不確実で、シームレスな予約・決済システムがない。これにより、旅行客は「東京・京都に留まる方が確実で楽だ」と判断してしまう。
  3. 収益の流通の断絶:旅行代理店を通じた既存の流通経路では、高付加価値な体験から得られる収益が地域に適切に還元されず、中央で捕捉されてしまう傾向がある。

Skiftの記事では、JTBが北海道や瀬戸内海などの地域周遊ルートを開発していることを紹介していますが、これはまさにこの流通の断絶を埋めるための努力です。しかし、地域側が真に持続可能な収益を得るためには、旅行会社任せではなく、自らがデータ主導でこの「流通」をコントロールできる基盤を確立する必要があります。

(あわせて読みたい:JTBが指摘した観光の「流通問題」:地方の収益力を解放するデータ基盤DX戦略

現場の課題:潜在収益のデジタル化停滞

地方の現場では、観光客の「分散」を促したいという強いニーズがあります。しかし、彼らが抱えるリアルな課題は、「観光客の行動データがバラバラに存在する」ことです。

例えば、ある外国人観光客が、地域交通のオンデマンドバスを利用し、観光協会が運営する体験プログラムに参加し、地元の小さな宿泊施設に泊まったとします。これらの行動データ(いつ、どこで、何を、いくらで)は、それぞれの事業者やシステム(バス会社の配車システム、宿泊施設のPMS、体験予約システム)に分断されて保管されており、地域全体で統合的に分析し、次の収益化施策に活かすことができません。

このデータ断絶こそが、流通問題の根幹です。データが流通しないため、「どの地域体験に高単価を支払う富裕層が来ているのか」「二次交通のどのルートが収益性が高いのか」といった意思決定に不可欠なROI情報が欠落し、結果としてマーケティングも交通整備も「勘と経験」に頼らざるを得なくなります。

流通問題を解決し、ROIを地方に還元するDX戦略

JTBが指摘した「流通問題」を抜本的に解決し、地方に持続的な収益をもたらすためには、単なるアプリ開発や情報提供を超えた、データ流通のためのインフラ(基盤)投資が不可欠です。

戦略1:移動と体験を統合する「摩擦ゼロ」の信頼性基盤

旅行者が地方を周遊しない最大の原因は、移動と体験の予約・決済の不確実性と複雑性です。これを解決するには、地域内のすべての移動サービス(公共交通、オンデマンド交通、タクシー)と、高付加価値な体験商品が、単一のデジタル基盤上でシームレスに連携する必要があります。

DX実装の具体例:

  • 統合認証・決済システム:旅行者が一度の認証(デジタルIDや生体認証)で、すべての交通機関や施設、体験予約を利用できる環境を整備します。これにより、多言語対応の不備や、複雑な決済プロセスといった摩擦要因を徹底的に排除します。
  • 動的ルーティングと需要予測:移動データ、予約データ、滞在データをリアルタイムで統合し、旅行客の現在地や次の目的地、予算に合わせて最適な移動ルートと体験を提示します。これにより、特定の時間帯やエリアへの集中を避けるための「動的な交通制御」が可能となり、オーバーツーリズム対策と利便性向上を両立できます。

この摩擦ゼロの体験は、旅行客のQOLを向上させるだけでなく、移動経路上の消費行動を正確に把握し、データを収益資産として蓄積することを可能にします。

戦略2:属人化された専門知のデジタル資産化

地方には、地元ガイドや職人、歴史家などが持つ貴重な専門知識が眠っています。これらは高単価な体験商品の核となるものですが、多くの場合、特定の個人に依存しており、拡張性や持続性に乏しいのが現状です。

DX実装の具体例:

  • AIによる知見の標準化:地域固有の専門知を、インタビュー、映像、古文書などから抽出し、構造化されたデータとしてデジタル化します。これをAI(生成AI含む)の基盤として活用し、旅行客のニーズや関心に合わせた「超個別化された体験提案」を自動生成します。
  • 流通プラットフォームへの組み込み:このデジタル化された専門知を、統合予約プラットフォームに組み込むことで、世界中のOTA(Online Travel Agent)や富裕層向けキュレーターに対し、地方の高付加価値商品を自動的に流通させることが可能になります。これにより、情報流通の断絶を解消し、地方発の収益を直接確保します。

戦略3:ROI駆動型の「価値に基づく価格設定(Value-Based Pricing)」

JTBの山北CEOは、価値の伴わないツーリスト向け二重価格設定に警鐘を鳴らしていますが、これは価格設定が「コスト」や「供給量」ではなく、「提供する価値」に基づくべきだという示唆でもあります。

DX実装の具体例:

  • データに基づく動的価格設定(Dynamic Pricing):上記の統合データ基盤を活用し、特定地域の需要集中度、提供する体験の希少性、観光客の属性(単価の高い市場か否か)を分析します。これにより、需要が高い時間帯や希少価値が高い体験に対しては価格を適切に引き上げ、収益を最大化します。
  • 地域への収益還元モデルの確立:DX投資により得られた移動データや消費データは、地域公共交通の維持管理費用や、地域住民の生活QOL向上のためのインフラ整備に還元する仕組みを構築します。これにより、観光収益が地域住民の便益に直結する「持続可能な観光」モデルを確立できます。

収益性と持続可能性:流通DXがもたらす長期的な価値

日本の観光が「流通問題」を克服し、持続的な成長を達成するためには、DXを単なる「効率化ツール」ではなく、「収益構造を変革するためのインフラ投資」として捉える必要があります。

短期的ROI:データ統合による摩擦解消は、ラストワンマイルの移動コスト削減と、予約・決済のシームレス化による販売機会の最大化に直結します。

長期的持続可能性:地域専門知のデジタル資産化とデータ駆動の動的価格設定は、地域資源の価値を損なうことなく、高単価市場から安定した収益を引き出す基盤となります。これにより、地方自治体や観光協会は、補助金頼みではない自立的な経営サイクルを構築でき、オーバーツーリズムによる混雑を避けるための交通制御や分散化の施策にも、収益を投じることが可能になります。

海外メディアが日本の観光の潜在能力を高く評価する一方で、そのポテンシャルを解放できていない原因を「流通」の停滞に見出している今、地域はただちに「データ流通基盤」への戦略的な投資を開始すべきです。この基盤こそが、地方の収益力を解放し、日本の観光を持続可能な高付加価値市場へと進化させる鍵となります。

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