富良野が挑むMaaSの真価:移動と消費データを資産化する決済基盤戦略

2次交通・モビリティ革命(移動の解消)

はじめに

観光MaaS(Mobility as a Service)や自動運転、ライドシェアといった次世代モビリティ技術は、しばしば「ラストワンマイルの不便解消」という側面から語られます。しかし、真の課題は単なる移動の利便性向上ではありません。地方における交通インフラの持続可能性と、それを支える地域経済への収益還元(ROI)の仕組みをどう構築するか、という点にあります。

従来のMaaS実証実験の多くは、補助金によるデジタル乗車券の導入やルート検索機能の提供に留まり、その後の持続的な収益モデルの確立に至っていません。移動サービスを持続させるには、それを「コスト」ではなく「データ資産」として捉え、高精度な行動データを収益化の基盤とする戦略が不可欠です。

今、北海道富良野市で始まる新たなMaaS実証実験は、この構造的な課題に切り込むものです。決済インフラをモビリティサービスの中核に組み込むことで、移動データと消費データをシームレスに連携させ、地域交通の持続モデルの確立を目指しています。

富良野市の挑戦:決済データ連携による移動の「資産化」

富良野市、ふらのバス、三井住友カードなどは、2026年2月5日より、市内のバス全線でクレジットカードなどのタッチ決済を導入する実証実験を開始しました。これは、国土交通省の「日本版MaaS推進・支援事業」に採択された取り組みの一環です。

引用元:レスポンス(Response.jp)
三井住友カードの「stera transit」活用、富良野市がバス全線タッチ決済とMaaS実証実験…2月5日開始
https://response.jp/article/2026/02/03/406901.html

この施策は、単なる決済手段の多様化にとどまりません。富良野のような観光地にとって、決済の簡素化はインバウンドを含む観光客の移動体験における「摩擦ゼロ」を実現するための第一歩です。しかし、さらに重要なのは、このタッチ決済ソリューション「stera transit」とMaaSアプリ「Pass Case」の連携が、移動データそのものの質を抜本的に変革する点です。

従来の交通データは、乗降者数や時間帯といったマクロな統計情報に偏りがちでした。一方、タッチ決済とアプリを通じて取得されるデータは、「誰が(匿名化されたIDベース)」「いつ」「どこからどこまで移動し」「どの交通事業者に」「いくら支払ったか」という、より詳細な情報となります。さらに、これがクレジットカード決済である場合、その利用者の属性(国籍、決済レベル)や、他の加盟店での消費履歴とも紐づけることが理論上可能になります。

これは、移動を「ただの経費」から「高精度な行動データ資産」へ転換させるための戦略的な先行投資です。

ラストワンマイルの真の課題:住民QOLと収益の両立

富良野市が抱える公共交通の課題は、多くの地方観光地と共通しています。それは、観光シーズンの需要の波と、閑散期の地域住民の生活の足としての安定需要とのギャップです。

観光客向けのラストワンマイル(例えば、駅や拠点空港から宿泊施設、特定の観光スポットへのアクセス)は、高単価なチャーターやタクシーに頼りがちで、地域住民が日常利用するバス路線は赤字が常態化しています。この赤字の補填には多額の公的資金(補助金)が投入されますが、データに基づかない運行計画では、効率改善が難しく、持続性が担保できません。

今回のMaaS実証実験では、観光客の利便性向上だけでなく、地域住民向け定期券のデジタル化も同時に進められます。これにより、以下の二つの持続可能性が追求されます。

1. 地域住民のQOL維持とコスト効率化

デジタル化された定期券やタッチ決済の利用データに基づき、住民の移動ニーズが正確に把握できます。これにより、需要の少ない時間帯や路線を廃止・縮小したり、デマンド交通に切り替えたりする意思決定が、主観ではなくデータ駆動で可能になります。非効率な運行コストを削減することは、公的資金の投入額を適正化し、持続可能な「生活の足」を維持する上で不可欠です。

2. 観光客の消費行動データからの収益還元

観光客がMaaSアプリやタッチ決済を利用することで、移動の軌跡が詳細に記録されます。このデータ分析により、「どの宿泊施設に泊まった客が、どのルートを通って、どの飲食店や体験施設で高額消費をしたか」が可視化されます。この知見は、交通事業者が単に運賃収入を得るだけでなく、DMOや宿泊施設、体験事業者に対して、マーケティングデータとしてフィードバックしたり、共同で周遊パスを開発・販売したりする際の価格設定の根拠となります。

このように、移動をきっかけとする「収益創出の仕組み」をデータ基盤を通じて確立することで、交通インフラ維持に必要な資金を、観光客の高単価消費から直接的に賄うことができるようになります。これは、過去の記事で指摘した、移動をコストではなくデータ資産に変えるという富良野市の戦略を具体化するものです。

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規制緩和の現状と電動モビリティの役割

観光MaaSの議論において、自動運転やライドシェアの規制緩和は不可避なテーマです。特に日本では、ドライバー不足が深刻化する中で、ライドシェア導入に向けた法整備が進められています。しかし、規制緩和は「安全性の確保」と「既存産業との調和」という二律背背反の課題を常に抱えています。

自動運転(特にレベル4)はまだ高コストであり、観光地の広範囲な移動をカバーするには時間と大規模なインフラ投資が必要です。一方、自家用有償旅客運送制度に基づく「日本版ライドシェア」は、運行管理の主体がタクシー事業者に限定されるなど、現場の自由度にはまだ制約があります。

このような状況下で、電動キックボードや電動アシスト自転車などの「マイクロモビリティ」は、規制緩和と現場実装のバランスを取る現実的な選択肢として急速に普及しています。

■電動モビリティと道路交通法改正

電動キックボードは、特定小型原動機付自転車として道路交通法が改正され、一部の条件(最高速度、保安基準など)を満たせば運転免許不要で走行可能になりました(2023年7月施行)。

この規制緩和は、特に観光地の「スポット間の移動」や、都市部の「駅からの数キロ圏内」といった、明確なラストワンマイルを埋めるソリューションとして機能します。現場スタッフの配置や車両の維持管理コストが自動運転車に比べて圧倒的に低い点も、地域にとって大きなメリットです。

重要なのは、これらの電動モビリティがMaaSのプラットフォームに組み込まれ、タッチ決済やアプリ連携を通じて移動データを提供することです。移動手段が多様化しても、データ基盤が一元化されていれば、交通全体の需要予測や、観光客の周遊パターン把握は可能であり、これが持続的な収益モデルを支えます。

移動データの「動的な観光マーケティング」への還元

移動データを資産化する最終的な目的は、観光客の体験価値を最大化し、地域での消費総額(ROI)を向上させることにあります。

富良野のようなタッチ決済とMaaSアプリを基盤とするシステムが完成すると、マーケティングは静的な分析から、動的な意思決定へと質的に転換します。

1. 摩擦ゼロ体験の提供

海外からの旅行者にとって、日本の公共交通は乗り換えや運賃体系が複雑で、決済方法も多様です。タッチ決済やMaaSアプリによるチケット統合は、この「三大不便」(言語、決済、移動)のうち、決済と移動の壁を同時に破壊します。ストレスなく移動できる環境は、滞在時間を延ばし、消費に集中させる効果があります。

2. 周遊パスの最適化とダイナミック・プライシング

MaaSアプリを通じて、観光客が実際に利用した交通手段や滞在時間を分析することで、地域のDMOは利用実態に基づいた周遊パスの適正価格を設計できます。従来の「勘と経験」に頼ったパス設計から脱却し、移動需要のピークを予測した上でのダイナミック・プライシング導入も視野に入ります。

3. 即時性の高いオファーと誘導

アプリが移動データをリアルタイムで把握することで、特定の観光客に対して、その移動パターンや現在地に合わせたクーポンや情報(例:「次のバスまで10分あります。近くのカフェで使える割引券があります」)をプッシュ通知できます。これにより、予定になかった消費を喚起し、地域全体での消費総額を押し上げることができます。

例えば、ある観光客が富良野エリアで特定のワイナリーへ向かう傾向がデータから読み取れた場合、そのワイナリーと連携し、移動中に「この後のディナーは、当ワイナリー直営のレストランでペアリング体験が可能です」といった高付加価値なオファーを提示することで、客単価を飛躍的に向上させることができます。

このようなデータ活用は、交通事業者が単なる移動サービス提供者ではなく、地域経済の成長を牽引するデータプラットフォーマーとしての役割を担うことを意味します。

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まとめ:移動インフラを持続可能な収益基盤へ

観光MaaS、自動運転、そして電動モビリティは、それぞれが個別の技術革新ではなく、「データ基盤」という共通のインフラ上に統合されることで初めて、地域社会に持続的な価値をもたらします。

富良野市が推進するタッチ決済連携の実証実験は、このデータ基盤構築における核心的なステップです。利便性の向上だけでなく、「移動・決済・消費」という観光客の行動全体をシームレスに把握し、そこから得られた収益を地域交通の維持という構造的なコスト課題に還元するメカニズムを確立しようとしています。

地方の観光・交通事業が補助金頼みから脱却し、投資に見合うROIを確保するためには、移動データがどこで生まれ、どのように収益に繋がり、最終的に住民のQOL向上にどう使われるかという透明性が重要になります。この取り組みは、日本全国の交通赤字に苦しむ観光地にとって、持続可能な移動インフラと地域経済を両立させるための、具体的な青写真を提供するでしょう。

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