はじめに:検索の終焉と「AI回答」時代の到来
2025年、日本の自治体や観光地域づくり法人(DMO)が直面している最大の地殻変動は、旅行者の行動変容です。かつてのように「Googleで検索し、複数のWebサイトを比較検討する」というプロセスは、ChatGPTやPerplexity、GoogleのSearch Generative Experience(SGE)といった生成AIによる「一問一答型」の意思決定に置き換わりつつあります。観光DXの本質は、もはや「見栄えの良いWebサイトを作ること」ではなく、「AIが地域の情報を正しく解釈し、推奨してくれる状態を作ること」に移行しました。
この変化は、自治体が推進する「スマートシティ計画」や「デジタル田園都市国家構想」の成否を分ける決定的な要因となります。どれほど多額の公的予算を投じて観光インフラを整備しても、AIがその存在を「知らない」あるいは「誤った情報を提示する」状態では、デジタル上の導線が遮断されてしまうからです。今、地域に求められているのは、単なるデジタルツールの導入ではなく、AI時代の情報流通を制御する「信頼データ基盤」の構築です。
Tourism Goldenの先駆的試み:公式AI LLMページの実装
この課題に対し、世界に先駆けて極めて合理的な回答を示したのが、カナダ・ブリティッシュコロンビア州のDMO「Tourism Golden」です。彼らは、従来の観光客向けWebサイトとは別に、AI(大規模言語モデル:LLM)が読み取ることを前提とした「公式AI LLMページ(Official AI LLM Page)」を公開しました。
参考:Golden, BC Among First Canadian Rockies Destinations to Create Official AI Platform Page – The National Law Review(メディア名:The National Law Review)
この施策の核心は、AIが学習や回答生成の際に参照する「情報のソース」を、DMO側が能動的に提供・管理するという点にあります。Tourism Goldenは、管轄する6つの国立公園の最新状況、アクティビティの安全性、季節ごとのアクセス制限といった、ハルシネーション(AIの嘘)が起きやすい情報を「構造化データ」として整理しました。これにより、ChatGPTなどのAIアシスタントが旅行者の質問に答える際、非公式な掲示板や古いブログ記事ではなく、DMOの「正確なデータ」を優先的に引用させる仕組みを構築したのです。
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公的補助金と「データ基盤」への戦略的投資
日本国内においても、デジタル田園都市国家構想交付金を活用した事例は増えていますが、その多くが「アプリ開発」や「Wi-Fi整備」といった物理的な実装に偏っています。しかし、真にROI(投資対効果)が高いのは、Tourism Goldenが行ったような「情報のインフラ化」への投資です。
例えば、ある自治体が1億円の予算で観光アプリを作ったとしても、そのアプリをダウンロードさせるための広告費が別途数千万円発生し、最終的な利用者数が数千人に留まるケースは珍しくありません。一方で、地域の観光資源(宿泊、飲食、交通、体験)を、Googleの「Schema.org」などの標準規格に基づいた構造化データとして整備し、APIを通じてAIや外部プラットフォームに開放する戦略はどうでしょうか。
この場合、自治体が自ら集客コストを支払う必要はありません。AIが勝手にそのデータを拾い上げ、世界中の旅行者に「その地域を訪れるべき理由」をレコメンドしてくれるようになるからです。現場の運用担当者にとっては、更新作業を一度行うだけで、Google検索、AIチャット、地図アプリ、SNS、旅行予約サイトのすべてに最新かつ正確な情報が同期されるという、劇的な業務負荷の軽減ももたらします。
「データ活用」によって地域の意思決定はどう変わったか
データ活用は、単なる「分析」に留まりません。自治体の意思決定を「感と経験」から「動的な最適化」へと変貌させます。これまでの観光施策では、昨年の入込客数という「遅行指標」を見て今年の予算を決めていました。しかし、AIフレンドリーなデータ基盤を持つ自治体は、AIチャットでの言及数や検索意図という「先行指標」を把握できるようになります。
例えば、「この地域でのスキー事故の発生可能性をAIに質問している層が増えている」という予兆をデータで掴めば、自治体は事故防止のための安全対策予算を、事故が起きる前に重点配分できます。あるいは、特定の宿泊施設や体験プログラムがAIによって繰り返し推奨されていることがわかれば、その施設周辺の二次交通を増便するといった、リアルタイムなリソースの最適配置が可能になります。
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他の自治体が模倣できる「汎用性の高いポイント」
Tourism Goldenの事例から、日本の自治体が今すぐ取り組むべき汎用的なポイントは、以下の3点に集約されます。
1. 「人間用」と「AI用」のWebページを分離、または共存させる
Webサイトのデザインを美しくすることに固執せず、情報の裏側に「JSON-LD」などの構造化マークアップを徹底すること。これにより、検索エンジンやLLMが地域の観光情報を「理解」できる言語で記述します。これが、AI時代におけるSEO(検索エンジン最適化)ならぬGEO(生成AI最適化)の第一歩です。
2. 専門知を「信頼資産」としてデータ化する
地元のベテランガイドしか知らない隠れたスポットや、季節ごとに変動する路面の凍結情報など、Web上に散らばっている「属人的な知識」を収集し、公式データとして定義し直すことです。AIは一般的な情報は得意ですが、地域特有の「重層的な専門知」には弱いため、ここを補完するデータを持つ自治体が圧倒的な信頼を勝ち取ります。
3. APIファーストによる外部連携の自動化
自社のWebサイトに閉じこもるのではなく、データを外部に「使ってもらう」姿勢が重要です。観光庁の「観光DX」でも推奨されているように、地域共通のデータ基盤を構築し、スタートアップや民間の旅行テック企業がそのデータを自由に活用できる環境を整えることで、自治体自身の開発コストを抑えつつ、多様なサービス(予約、決済、MaaS)を地域に呼び込むことが可能になります。
おわりに:収益と持続可能性を支える「情報の精度」
観光DXにおけるROI(投資対効果)とは、単に「観光客が増えたかどうか」で測るべきではありません。「どれだけ低い摩擦コストで、質の高い(高単価な)旅行者を、地域の最適なリソースへ誘導できたか」という視点が不可欠です。AIが古い情報をもとに旅行者を不適切な時間や場所に誘導してしまえば、それはオーバーツーリズムを加速させ、地域住民のQOLを低下させるリスクとなります。
Tourism Goldenが示した「AIに正しい情報を教える」という取り組みは、まさにこの摩擦コストを最小化し、地域経済に持続可能な収益をもたらすためのインフラ整備です。日本の自治体も、2025年度の予算編成において、「見える化」のその先にある「情報の信頼性担保」へと投資の軸足を移すべき時が来ています。
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