はじめに:移動の「足」が消える地域の現実と、求められる逆転の発想
2026年現在、日本の地方観光地が直面している最大のボトルネックは、宿泊施設の不足でも、魅力的なコンテンツの欠如でもありません。それは、二次交通、特に駅から目的地、あるいは宿泊施設から飲食店へと繋ぐ「ラストワンマイル」の崩壊です。少子高齢化に伴うタクシー・バス運転手の慢性的な不足は、単に観光客の利便性を損なうだけでなく、地域住民の移動手段すら奪い去り、地域経済の循環を根底から止めています。
これまで多くの自治体が「観光MaaS」として便利なアプリ開発やツールの導入に予算を投じてきましたが、その多くは「車両とドライバーという供給源」の不足を解決できず、一時的な実証実験で終わってきました。しかし、今、この閉塞感を打ち破る「逆転の戦略」が動き出しています。それは、ハードウェア(車両やシステム)の整備を後回しにし、徹底して「運行の担い手」と「規制の再定義」にフォーカスするアプローチです。
「ドライバー確保」を最優先する静岡県の戦略的英断
注目すべき事例として、静岡県内の自治体が取り組む「公共ライドシェア(自家用有償旅客運送)」の動きがあります。以下のニュースは、これまでの観光交通の常識を覆す示唆に富んでいます。
■ 引用ニュース:
「車は後、まずはドライバー確保」静岡県の自治体が踏み出す「公共ライドシェア」の正体、逆転の交通戦略を考える(Merkmal) – Yahoo!ニュース
この記事で語られているのは、タクシー会社が主体となる「日本版ライドシェア」とは一線を画す、自治体が主体となって白ナンバーの自家用車を活用する「公共ライドシェア」の深化です。静岡県のある自治体では、高性能な電気自動車(EV)や自動運転技術の導入を論じる前に、まず「地域の誰が、どの時間に、どのような報酬設計であればハンドルを握ってくれるのか」という人的リソースの掘り起こしに注力しました。
これは、テクノロジーを単なる「効率化の道具」としてではなく、「潜在的な供給力を可視化し、信頼を担保するためのインフラ」として再定義している点に大きな価値があります。観光客が集中するハイシーズンには観光客を、それ以外の時間帯やオフシーズンには地域住民の通院や買い物を支える。この「観光と生活のハイブリッド運用」こそが、単発のプロジェクトで終わらせないための持続可能なROI(投資対効果)を生み出す鍵となります。
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規制緩和を実利に変える:道路運送法「第78条」の戦略的活用
この静岡県の事例が成立している背景には、2024年から2025年にかけて進んだ道路運送法、特に「第78条(自家用有償旅客運送)」に関連する規制緩和の運用解釈の拡大があります。従来、白ナンバー車両による有償送迎は、公共交通機関が極めて困難な地域に限定されてきました。しかし、深刻な運転手不足を受け、「タクシーだけでは需要を満たせない」ことが客観的なデータで証明されれば、準過疎地や中規模都市の特定エリアでも解禁されるようになっています。
さらに、2025年に改正・施行が加速した「特定条件下での自動運転(レベル4)」や、特定小型原動機付自転車(電動キックボード等)の普及も、この法的な枠組みの中で重要な役割を果たしています。重要なのは、これらの新しいモビリティを単体で導入しないことです。静岡の事例のように、「地域の担い手」が中心となり、それを補完する形で電動モビリティや自動運転車両をミックスする「重層的な交通網」を構築することが、運用の安定性をもたらします。
法改正を単なる「許可の緩和」と捉えるのではなく、地域が主体となって「最適な移動ポートフォリオ」を設計するための法的根拠として活用する。この視点の転換が、行政のROIを劇的に改善します。
ラストワンマイルを収益化する:観光と生活の「共助型」ハイブリッドMaaS
ラストワンマイルの課題解決において、観光客専用のシャトルバスを走らせることは、もはや経済的に合理的ではありません。観光客のピーク需要に合わせればオフシーズンの稼働率が下がり、逆に住民の生活に合わせれば観光客の利便性が損なわれるからです。ここで解決策となるのが、「動的マッチング」による共助型モデルです。
例えば、日中は観光客のスポット移動にライドシェアを割り当て、朝夕は住民の生活支援(買い物代行や通院支援)にシフトする。この切り替えを支えるのがMaaSプラットフォームの真の役割です。観光客からは「摩擦ゼロの便利な移動体験」の対価として適切なサービス料金を受け取り、その収益の一部を地域住民の運賃割引や、ドライバーとなる住民へのインセンティブに充当する。これにより、外部資本(観光客)が地域交通の維持コストを肩代わりする構造が出来上がります。
ここで重要なのは、「便利だから使う」という利便性だけでなく、「安全と信頼がデータで裏打ちされている」という安心感です。Lyftのようなプラットフォームが米国の地方部で成功したのは、ドライバーと乗客の双方をスコアリングし、信頼を可視化したからです。日本の地域交通においても、この「信頼のデータ化」が不可欠です。
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移動ログを「地域経営のOS」へ還元するデータマーケティング
MaaSやライドシェアの導入を「移動手段の提供」で終わらせてはいけません。真の収益(ROI)は、移動のプロセスで発生する「移動ログデータ」の活用によってもたらされます。静岡県の公共ライドシェアや全国で進む電動モビリティの実装において、最も価値があるのは「誰が、いつ、どこからどこへ、何のために移動し、その後どこで消費したか」という一連の行動データです。
このデータが観光行政や地域事業者に還元されることで、以下のような「データ駆動型の地域経営」が可能になります:
- 滞在単価の向上:特定の宿泊施設に泊まった客が「夜の飲食店への移動手段がない」ために外食を諦めていることがデータで判明すれば、その時間帯に集中的にライドシェアを配車し、地域全体の消費額を底上げできる。
- インフラ投資の最適化:どのルートに電動キックボードのポートを設置すべきか、あるいは将来的に自動運転バスを導入すべきルートはどこかを、直感ではなく実データに基づいて決定できる。
- 分散観光の実現:中心部の混雑ログをリアルタイムで分析し、周辺スポットへの移動をライドシェアのクーポンとセットでレコメンドすることで、オーバーツーリズムを抑制しつつ回遊性を高める。
移動データを単なるログとして捨てるのではなく、地域経済の「需要予測エンジン」として活用する。これこそが、MaaSをコストセンターからプロフィットセンターへ変える唯一の道です。
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おわりに:持続可能な地域交通への「投資」としてのMaaS
これからの観光行政や地域振興において、MaaSやライドシェアを「交通の補助金事業」と捉える時代は終わりました。静岡県の事例が示すように、車両というハードではなく、「担い手というソフト」と「データという資産」に軸足を置くことで、観光客の満足度向上と住民の生活維持を両立させることが可能です。
2026年以降の勝ち筋は、規制緩和を追い風に、いかに地域独自の「信頼の仕組み」を構築できるかにかかっています。移動の摩擦をゼロにすることは、単なる利便性の追求ではありません。それは、地域に眠る潜在的な供給力と需要を再接続し、「移動が経済を回し、経済が移動を支える」という持続可能な循環モデルを構築することに他なりません。現場のスタッフや地域住民が「自分たちの足」を誇りを持って運営できる仕組みこそが、世界中の旅行者を惹きつける「真のインフラ」となるのです。


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